パストラーレ

夢の世に かつ微睡みて 夢をまた 語る夢も それがまにまに

美しい恋にされました。

2020年9月12日(土)にTHE MUSIC DAY2020が放送されました。

オタクが大好きな毎年恒例ジャニーズシャッフルメドレーもあり、NEWSからは「チャンカパーナ」が歌われることが発表されたのが放送1週間前の話です。

この時は「まさかそんな二宮くんがチャンカパーナ歌うなんて、私に都合いいことあるわけ~!ウィークエンダー(※前も歌った)とかDarlingとかっしょ~!」みたいなテンションでした。この時の私に言いたい、お前死ぬぞ。

 

で、放送前日に歌うメンバーが発表されました。

落ち着け。

 完全に余談ですが、私は少し落ち込んだときに、過去の様子のおかしい自分のツイートなどを見ると「バカじゃんwww」と元気になります。つまり、この辺りは元気になるツイート群です。

 

当日は予定があったので20時過ぎくらいからしかリアタイできませんでした…というか、正確には予定があってシャッフル全く見られないと思っていたら、まさかのシャッフルpart2には間に合ってしまうことが発覚し、「やばい、これは死ぬ」となりました。

コヤシゲは前半に終わってしまっていたので(悲)、Twitterを見てこっちが「なんでやねん」となるほど小山くんのええじゃないかが可愛いのと、ウィークエンダーのシゲちゃんが髪の毛ふわふわで可愛いのと、ふたりとも可愛いのに衣装が増田貴久デザインのFIGHTERS.COMのバチボコイケイケ衣装だったのと、櫻井くんをセンターに風神雷神か何かのようにコヤシゲが宙船を歌ったのと、何故かピンポン玉入れとかいうNEWS担しか分からない身内ネタ披露してたのをなんとなく把握し、オタクとテレビ前でシャッフルを待機していました。

 

ズッコケ男道を楽しく大はしゃぎで見て、坂本くんと大野さんの愛のかたまりで「は?やば。歌うま。優勝。ハモリ最高。円盤にして。」と静まり返るオタク2人。あれは最高だった。

Darlingはメンバー見たときから確信してたけど世界平和すぎでしたね…相葉くん可愛い…ずっと可愛い…。

で、シンデレラガールは下ハモを歌っているはずなのにカメラに抜かれまくり、完璧に踊っていた潤くんに「よかったね!!!!!!!!」となり、やってきました我々のチャンカパーナ

 

「せっかく4人で歌うのにセリフないんかーい!!!」となりつつも(笑)、クリームパンか雪見だいふくみたいな丸くてふわふわした手でチャンカパーナ踊る二宮くんで気が狂うオタク。(クリームパンとか雪見だいふくみたいな比喩を出してくる私、二宮くんのことを一体なんだと思っているのか)

「二宮くんかわいい…かわいい…」とか思ってたらさ、マイクスタンドからマイク取るじゃん?え、最後のロングトーン歌うん?え?こちとらかつて手越の女だったんですけど?そこを大好きなあなたが?歌って?くださる???え?????死ぬ前の夢か??????????

 

二宮くん「チャンカパーn

私「ありがとうございまぁぁぁぁぁぁあああす!!!!!!!」

 

食い気味に感謝の言葉を叫んでしまったので、今冷静に考えたらリアルタイムでちゃんと二宮くんの歌声聴こえませんでした。私は落ち着こうね。

落ち着こうね。

 

シューイチもだし、今日も色んなワイドショーで二宮くんのチャンカパーナ聴けて「はぁぁ…」ってなりました。最高です。

 

先述したとおり、私はかつて…というか、今年の6月19日まで手越担でした。一緒に夢を見るなら、幸せになるならNEWSの3人とがいいと思ったので、今ここにこのような形で存在しています。

私は薄情なのか能天気なのか分かりませんが、かつて手越の女だった人類の中では比較的前向きにハッピーに元気に生きている方なんだろうなぁと勝手に思っています。

でも、正直ふとしたときに4人が恋しくなることがあるので、まだこの状態ではチャンカパーナなんて聴けたもんじゃないなと思っていました。

「この楽曲のこのパートはNEWS3人の中でこの人に歌ってほしいな」と勝手に考えるような気持ちの余裕はあるのですが、チャンカパーナの最後みたいな、「4人のNEWSの代表曲」の「NEWS・手越祐也の象徴」と言えるようなパートを他の人が歌うっていうのは、やっぱり心の奥の方がチクッと痛くなるので。いつか痛くならなくなるといいな。

 

そういう理由で、私個人としては3人のチャンカパーナを聴くのはまだキツイなと思っていました。そしたら、そのパートを大好きな二宮くんが歌ってくれた。本当に本当に嬉しかった。すっごくかっこよかった。

手越の女だった私の亡霊がちょっぴり心に残っているので、本当に性格が悪いなと思うのですが、今回のシャッフルでこのパートを歌ったのが二宮くん以外だったら「手越くんだったらな…」と思っていたような気がします。上手いとか下手とかそういう話ではなく。何回でも言うけど二宮くんが歌ってくれて嬉しかった。二宮くん、ありがとう。

 

ずっと手越くんの歌声が大好きだったし、手越くんのチャンカパーナチャンカパーナでもちろん大好きなのですが、それはそれとして。

二宮くんの高音も歌声もずっと大好きだから、あの最後のロングトーン歌い切った時に「好き~~~~~!!!!!!!」となりました。直前まで踊ってた可愛い二宮くんから爆イケになるもんだからオタク死にかけた。マイクスタンドに置かれた手もよかったし、横顔というか耳から顎にかけてのフェイスライン大好きだから眼福すぎる角度だったし、めったに見られない首の血管まで見られたし、ありがとうチャンカパーナ。いい楽曲です。

あと「二宮くんってあの高音出るんだ…?!」と言われていたの、ちょっとドヤ顔してしまいました。高音出るんですよ…まさかこんな形でバレるとは…嵐の楽曲でも高音フェイクしてるよ…私の大好きな二宮和也パートを聞かれたらたくさん答えちゃうよ…ちなみに大野くんも歌上手いし高音出るよ…よろしくお願いします…(?)

 

下手したらチャンカパーナは一生まともに聴けない気がしていたので、二宮くんがこういう形で歌ってくれてすごく救われました。前々から「二宮くんは私の心をケアしてくれるからベイマックス」とか言っていたけれど(???)、まさかこんな形で助けられるなんて思わなかった。ありがとう。

 

NEWSがいつかチャンカパーナ歌うのも楽しみだな~!

NEWS・小山慶一郎さんからウミガメが届きました。

2020年8月9日、日曜日。

のんきにテイクアウトのピザを食べていた私のもとに、1本の着信が入った。

 

 

 

 

 

 

 

 

「もしもし」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「こんにちは、東海テレビです。」

 

 

 

 

はじめに

タイトルのとおり、小山慶一郎さんからウミガメが届きました。何を言ってるか分からないと思いますが、本当の話です。

今日に至るまでのあれこれに言及するので、その辺りは各自で自衛していただければと思います。触れざるを得ないかなと思うので。あとファンサやらなんやら、他人のハッピーな話を読むと蕁麻疹が出てしまう人もオススメしません。

こちらとしてはそんな暗い話をするつもりはないですし、マウント取る意図も、誰かを傷つけたり不快に思わせたりする意図もありません。「意味の分からない愉快な女がいるなぁ」と、軽い気持ちで笑い飛ばしてもらえれば幸いです。

 

これは「終わりの話」ではなくて、「始まりの話」です。

登場人物

登場人物、私について。

私はずっと手越さんのファンでした。6年くらい茶の間で応援していて、その後6年は現場にも行きまくっていました。全国どこにでも飛び回っていましたし、コンサートのみならず番組協力にもタイミングが合えばホイホイ申し込んでいました。まあまあ気が狂っていたと思います。なお、手越さんのファンとは言っていますが、大前提としてNEWSまるまる箱推しです。

他には嵐が好きです。二宮さんが好きです。ディズニーも好きです。PerfumeOfficial髭男dismも好きです。その他色んなものに手を出しては騒いでいます。

色々なものに手を出してはいますが、間違いなく長い間生活の中心にあったのはNEWSであり手越さんでした。

広島スタンドFブロックの女

話は遡って、2017年。

NEWSがNEVERLANDというライブツアーを行っていた時の話です。

私が参戦する広島公演は6月1週目の土日でしたが、その前週である5月末。和歌山公演の直前、手越さんに色々とありました。

あの時は本当に心が死滅していて、全然寝れなかったり、寝ても悪夢しか見なくて夜中にすぐ目覚めたり、ご飯の匂いだけで吐きかけて何も食べられなくなったり、自分で思い返してもひどい状態でした。本気でもう二度と会えなかったらどうしようと思っていました。広められている内容が内容だったので。

その週末にコメントを出し、和歌山公演も(一応)無事に終え、広島公演。

テゴマスリフター前かつスタトロ最前の席のチケットが来た時は、まさかこんな気持ちで行くことになるとは思わず、本当に浮かれていました。
スタトロはコヤテゴが先に回ってくる位置だったのですが、ちょうど出入口で席削れていたところの真横の席だったのもあって、トロッコでこちらに向かってくる手越さんは、ずっと上の方のファンの子に手を振ってファンサをしていました。
別に私自身はファンサ命なわけでもないですし(でももらえるならもらいたい)、なんなら推しを近くでは見たいけど認識されたくないタイプなので、「まあ気づかなくてもしょうがないよね、でもそうやって上の方まで見てくれるところ好きなんだよね」と思いながら近づいてくる手越さんを見ていました。

私の前に来た手越さんは、突然私の方ににこっと笑顔を向けて手伸ばしてきました。私、別に手伸ばしてなかったのに。私が視認できた範囲では私だけピンポイントでそんなファンサしてくれて、その後はしていなかったと思います。

この話を、ずっとずっと私は色んな人にしてきました。あの時、体温だとか、そういうものに「存在していること、人間だということ」をあまりにも認識させられてしまったのです。

NEVERLANDツアーオーラスの東京ドームで、手越さんは見たこともないくらい泣いていました。それもあって、あの広島で手越さんが手を伸ばしてきた時、どうか少しでも救えていたらとずっと思っていました。

 

 

 

思えばずっと、私はこの日の出来事にすがりついて生きていました。

 

 

 

 

主目的にしないこと、好きになりすぎないこと

先述したとおり、私は嵐の二宮さんのファンでもあります。二宮さんが過去にインタビューで話していた言葉で、ずっと忘れられなかったものがありました。

ファンの人たちの働く目的が「嵐のものを買うため」になっちゃいけないって僕らは思ってるんです。ちょっとしたモチベーションになるのはいいけど、それが主たる目的になっちゃいけない気がする。自分で稼いだお金は、その人自身に投資するべきで。それより「嵐」はひとりひとりの生活のサイクルの一部になればいいと思っています。*1

このインタビューを読んだ当時、私はまだバイトもしたことがないような学生でした。嵐以外でお金を使うところといえば学校帰りに友達とカラオケやサイゼなんかに行くくらいだったのもあり、その時はまだピンときませんでした。

それから数年が経ち、大学生になってバイトをするようになり、気づけば社会人になっていました。始めこそ、NEWSも手越さんも、ちょっとしたモチベーションだったと思います。でも、NEVERLANDの時期に起こった出来事があまりにもトラウマになってしまった私は、急にいなくなるようなことがあっても後悔したくないと、必死で手越さんにすがりつくようになっていました。

2020年3月、NEWSの加藤シゲアキさんが『できることならスティードで』というエッセイ集を出しました。「小説トリッパー」で連載していたものに書き下ろしを加えたものになるのですが、私は連載で読んでいなかったため、単行本で初めて本エッセイを読みました。

その中に、加藤さんがスリランカを旅した時の出来事が書かれていました。中にはスリランカ人のガイドが話してくれた仏教の教えの記述があるのですが、それを読んだとき、心のどこかに残っていた二宮さんの言葉が痛烈に想起させられました。

何かを好きになりすぎると別れがつらかったりします。苦しみもあります。いろんな問題が生まれます。愛することは大事ですが、好きになりすぎることはよくないという教えです*2

心のどこかで分かっていました。私は今、二宮さんがあの時にインタビューで「こうなってはいけない」と話していた生き方をしていると。他人を生きる理由にして、自分の幸せを他人に委ねていたって、本当の意味で幸せになんてなれないと分かっていました。分かっていながら、手越さんがふっと消えてしまうのが怖くて、自分でも止め方が分からなくなって、ずっと何かに怯えて、ずっとずっと目を背けていました。

何も分からなくなった日

2020年6月19日。そんな私の世界が引っくり返った日。

先述したように生きていたら、いつかいなくなった時に生き方が分からなくなることくらいは分かっていました。

こんなことで死にたくないし死んではいけないとは思っていたのですが、如何せん本当に生きる理由が分からなかった。

 

5月に手越さんが活動自粛になってから薄々戻ってこないような気はしていたので、その時から「NEWSが3人になったら3人についていくかどうか」ということはとても考えていました。(手越さんが抜けたときに芸能活動を続けるか、当時はまだ分かっていなかったので)

 

f:id:xxxsky:20200815185737j:plain

当時のTwitter(※まさかのリア垢)

この時も「3年前」を引き合いに出すくらい、NEVERLANDの出来事が私にとっては大きかったんですね。本当にトラウマでした。

基本的に私はテンション高めでお送りしていますが、結構この時からずっとしんどかったです。本当に3人のことは大好きだし、3人になっても好きでいたいという気持ちは間違いなく大きかったですが、実際に追えるかどうか分かりませんでした。

Johnny's Happy Live with youの配信も、最初は見られる自信がありませんでした。でも、増田さんが更新してくれたRINGを読んで見ようと思いました。私のような立場の人間がいることを分かって決めたのだと思ったので。

 

私、本当に4人まるまるNEWSというものを愛していたんですよ。他のメンバーにもアホほどわき散らかしていたし、箱推し通り越してグループ内クソDD状態だったと思います。

私にとって手越さんは確かに特別だったし大好きだったけれど、同じくらい増田さんも加藤さんも小山さんも特別で大好きでした。

 

だから、道が分かれてしまっても全員を好きでいたかったんです。でも、好きで好きで仕方なかったから、いざ手越さんが抜けるとなった時、いくら心の準備をしていたとはいえ、目の前が真っ暗になってしまいました。手越さんのことも3人も好きでいたいとずっと言っていたくせに、分からなくなってしまいました。

ここまで入れ込んでしまった私にも多少非はあるのかもしれませんが、もう誰も好きになりたくないとまで思いました。完全にNEWSに関して、気持ちが迷子になってしまいました。

私の好きなもの

生きる理由が分からなかったけれど、どうにか生きる理由を探したくて、自分の好きなものは何だったか思い出す作業をしました。

イルカ、ペンギンといった水族館にいるような生き物が好きでした。星空も好きでした。ディズニーは小さい頃からめちゃくちゃ大好きです。学生時代は英語だとか外国語も好きでした。世界史や外国の文化も大好きでした。美術館や芸術祭、アートイベントも大好きです。

好きなもののことを考えて、次に「死ぬまでに何をしたいか」を考えました。

死ぬまでにイルカと泳ぎたい。野生のペンギンを見たい。あわよくばペンギンと遊びたい。空いっぱいの星空が見たい。世界中のディズニーパークを制覇したい。そうなるときっと外国に行くことが多くなるから、また外国語を色々勉強したい。教科書でしか見たことがない世界の国々に行きたい。ゴッホローヌ川の星月夜をいつか直接見たい。

…え、人生足りなくない?!

なんと、生きる理由がないどころか人生足りませんでした。大変です。

離したくなかった手

好きなもののことを考えていたのと並行して、NEWSのこともどうにか整理しようとしていました。落ち込む時はとことん落ち込むのが私のスタイルなので、好きなNEWSの歌を聴いて地の果てまで落ちるなどしてみました。そんな中ではっとしたのが、クローバーの加藤さんでした。

私が加藤さんをシゲぴと呼んでいるのはいつものことなのでスルーするとして。

 

先述したNEVERLAND広島の時、手越さんの前に手に触れた人がもう一人いました。その時の温かくて大きくて柔らかくて優しい手がずっと忘れられませんでした。それが小山さんでした。

加藤さんのクローバーを聴いて、絶対この手は握っていたい、NEWS3人からは離れたくないと思いました。

決められない担当

NEWS3人のことを好きでいようと決めて1か月以上、担当は決められませんでした。理由としては主に2つありました。

①手越さんが抜けて、その代わりに…なんて湿っぽい感情で決めたくなかった

②周りの3人のファンのお友達のことをずっと見ていて、彼女たちの愛の深さを知っていたので、担当なんて名乗るのがおこがましくて後ろめたかった

あとはちょっとだけ、誰かを好きになるのが怖かったのはあります。

 

いや、まあ今Twitter見返してたらずっと小山くんに狂ってたんですけど。

<参考>バラダンで小山くんが浴衣だった日の私

 

これはひどい。(自分)

 正直、手越さんがいた頃からこんなんだった感は否めないんですけども。(手越担だった私のひどさはお察しください)

でも先述したような理由で、誰の担当も名乗れないなあと思っていました。

名古屋港水族館の話

さて、イルカと泳ぎたい&ペンギンと遊びたい私ですが、こんなご時世なのでなかなか実現できません。なのでまずは地元の水族館に行くことにしました。それが名古屋港水族館です。

友人たち(NEWS担)と予定があったのが7月19日だったので、タイチサンの生放送の日でしたが、その日に行くことにしました。友人たちと「タイチサンのロケで名古屋港おいでよ~」とか話しながら、イルカとかペンギンを見ていました。

 

8月9日放送分の予告を見てびっくりしましたよね。

 

小山くん、名古屋港水族館来とるやん。

 

8月9日のタイチサンはリアタイしたのですが、私たちがいたときはずっと背中しか見せてくれなかったシャチのアース、小山くんの前ではめちゃくちゃ泳いでて笑いました。分かるよ。小山くんが来たら嬉しいよね。

タイチサンでは毎回視聴者プレゼントがあるのですが、この回は小山くんが選んだウミガメのぬいぐるみが含まれた名古屋港水族館レゴランドグッズの詰め合わせでした。

特に深く考えず、いつも通り番組への感謝の言葉とともに応募した私。

 

そしてかかってきたのが、冒頭の電話でした。

 

そもそもこういうの当選したことないから知らなかったんですけど、わざわざ電話してきてくださるんですね…丁寧…ありがとうございます…。

 

で、その結果がこれです。

同じ日に名古屋港水族館行ってただけでも面白かったのに、その日に小山くんが選んだウミガメのぬいぐるみが届いてしまう。彼氏か?

湿っぽい気持ちで誰かを好きになりたくなかったんですけど、このタイミングで、なんだか心の中のじめじめしたものが自分の中で全部無くなりました。くそちょろ女です。

分かってます。25人が当選するものだし、届いたものはスタッフさんたちの手を渡ってきているものであり、別に小山くんが選んで箱詰めしたものではないことくらい。でも、ディズニー生まれディズニー育ちのオタク、夢を見るのは得意なので。ミッキーはミッキーなんで。中の人とかいないんで。これは小山くんからのプレゼントなんで。

 

別にウミガメ当たったことだけが理由ではなく、挙げていったらちゃんと色々理由はあるのですが、

「ウミガメ出の小山担」ってワード、面白くない????

 

とりあえず周りの親しい小山担にこの旨を報告し、ついでにリア友にも報告し、「ウミガメwwwwwwwww」とめちゃくちゃ笑われて今日に至ります。みんな優しくてよかった。私の周りの人たちみんな幸せになってほしい。幸せになってくれ。

f:id:xxxsky:20200815203315j:plain

8月15日、本日届きました。かわいい。

手越さんの代わりでも何でもなく、というか最初から3人のことを代わりだなんて思ってはいなかったんですけど、今はめちゃくちゃポジティブな感情で「小山くんが好き!!!!!!」って思っています。なんなら「好き」って思ってからちょっと恥ずかしくて顔が見れなくなってきました(?????????)

まあでもやっぱ周りの小山担の子たちの愛の深さは見てきているので、こじんまりと生きていきたいなと思っています…私のことは小山担ワールド(?)の片隅にちょこっと置いといていただければいいんで…最後列とか最後尾とか見切れとかでいいんで…。ぽっと出の女がまじサッセ…。

おわりに

最終的に手越さんとどうなったか(?)を書いていなかったので一応触れておくと、私の中でどうしても許せないことがあった*3のと、あとはきっと手越さんのこと追いかけたら、私の意志の弱さ故にまた自分の人生を見失ってしまいそうだから、いったん距離を置くことにしました。まさかあんなにずぶずぶに依存していた自分が、こんな選択をするなんて思っていませんでした。人生何が起こるか分からないですね。でもきっとずっと嫌いになれないし、敵か味方かと言われたら味方でいたいと思ってしまうし、NEWS・手越祐也のことは大好きです。ていうか、人を嫌いになったり、人にネガティブな感情を向けて言葉の刃物を投げつけるのが苦手なだけなんですけどね。

ここ3年くらいの私を思い返すと、自分の好きなこと、やりたいことが少し見えなくなっていたなぁと思います。やりたいことを考えてからというもの、本当に生きるのが楽しいんですよ。このご時世だからなかなか実行はできないし、なんなら水族館行った頃よりも厳しくなってきてしまってはいるんですけど、るんるんでペンギンの写真集見たり、日本のオススメ水族館を紹介しているYouTube動画見たりしています。楽しい。ちなみに私の推しペンギンはヒゲペンギン(チンストラップペンギン)です。

f:id:xxxsky:20200815204716j:plain

私の推しペンギン

さて、ウミガメから1週間が経とうとしていますが、正直今とてもわくわくしています。人を好きになるって楽しいね。楽しい。

あとすっごくのびのびしているんです。なんだか分からない解放感があります。別にお願いされていたわけでもないんですが、今までの私は髪の毛をずっとロングにしていたし、服を選ぶ時は黒より白だったし、女の子らしいふんわりした格好を選ぶようにしていたし、スカートばかり身に着けていました。手越さんが好きだったから。そういった格好が嫌いだったわけではなく、むしろ好きだったんですけどね。でも今髪の毛をばっさり切って、黒やパンツスタイルを選ぶようになって、どこかで無理してたのかもなぁと思い始めています。勝手に自分で自分を縛り付ける私って本当におバカですね。

上手く言えませんが、もう今後は勝手に自分で縛られることなくNEWSや小山くんのこと好きでいられるんだろうなと思っています。私は自由だ~~~~!!!生きるの楽し~~~~~~!!!!!

 

 

 

最後に、小山くんの死ぬほどめちゃくちゃ好きなところ話してもいいですか?

 

耳から顎にかけてのシュッとしたフェイスラインです。

*1:「SPUR」2010年11月号、集英社

*2:『できることならスティードで』2020年3月、朝日新聞出版

*3:とはいえ、許せないのは私の問題なので手越さんにとやかく言う気はありません。

世界で一番似合わない色の話

2019年10月31日。
ハロウィーンの夜、私は嵐のコンサートで東京ドームにいた。その日とその前後のお話。

嵐が活動休止を発表したのが2019年1月27日。嵐だけは当たり前のようにずっと存在してくれると思っていたから、あまりの事態の大きさに呆然として、そのまま勢いで記事を書いた。
turtletalk.hatenadiary.jp


これは当時の私がその時思っていたことをそのまま素直に書いたものなので、現在の私との多少の齟齬はあるかもしれないが嘘はない。

当時の私は次のようなことを書き記している。

いつからか、私は自担たちに対して「アイドルなんて言葉で縛りつけてごめん」という罪悪感を抱くようになっていた。それこそ中高生の頃は「プロならプライベートを隠してくれ、夢を見せてくれ」などと少なからず思っていた記憶がある。ただ、どこかのタイミングで彼らの不自由さや人間に偶像を背負わせることの重さを感じるようになった。勝手に好きになって、勝手に期待して、勝手に裏切られた気持ちになって、勝手に離れていく。「好き」ってなんて自分勝手な感情なんだろうなと、ずっと考えていた。

こう考えている中で、アイドルのファンは、アイドルという人の人生を、彼らも私たちと同じ人間であることを半ば忘れているかのように消費して勝手に幸せになっているんだなと思った。ファンに彼ら・彼女らの自由や人生を奪う権利なんてないと思ったし、こんなに縛られて自由のない「アイドル」という職業を強いるなんて残酷だとまで感じた。私は生まれた頃から当たり前のようにアイドルを見てきたし、アイドルのことは間違いなく好きだけれど、アイドルという職業を肯定できないと思った。

それならせめて、私の好きなアイドルの皆さんには、「好き」「ずっと味方でいる」ということしか伝えたくない。「好き“だから”~」という、自分勝手な好きを理由に、好きのその先にある自分のエゴを押し付けるなんて絶対したくない。

2020年12月31日を、私がどんな気持ちで迎えるのかは今はまったく分からない。ただ、その時も変わらず私は、二宮くんのことが、嵐のことが好きなんだろう。なんなら、その先もずっと二宮くんのことが好きだと思う。ずっと私にとって初恋のような人だと思う。

私は基本的にネットニュースや週刊誌、情報・愚痴垢等と呼ばれる類のものはブロックするなどし、遮断して生きている。記事やツイートの内容が真実であろうが、発表されるべき内容は然るべきタイミングで公式から行われるものだし、そうでないものは未来永劫行われないと思っているので、何が書かれていようが気にしないスタンスである。そのような状態なので、時々自分の知らないところで何かが炎上し、知らない間に鎮火することもあるが、特に自分の人生に影響は出ていないので知らなくても気にはしていない。
そんな中でも、時々Twitterのタイムラインなどから不穏な気配を察知することはある。該当記事を読むことは一切しないが、不穏な気配から、何に関してタイムライン上の人間が呟いているのかを把握することは少なくない。

そうやって知った中に、二宮くんのことももちろん含まれていた。私が知らないものもあるだろうけれど、一番最初に噂が出たときからコンスタントにその話を見かけていたと思う。
最初は特に気にしていなかったけれど、匂わせまとめを見た時は「これ進研ゼミで見たことある!」の顔をしたし(お察しください)、普通に考えてやばい女だなという印象しかなかった。やばすぎて「いやいや二宮くんがそんなわけ」と思った。だって驚くほどやばかったから。(語彙)

でも途中から、あ、これはきっと本当なんだろうなと思うようになった。それから段々と苦しくなってきて、テレビなどで二宮くんを見かけたときの感情が「好き」と「気持ちが悪い」が混ざったようなものになってきた。*1比較的色んなことに対して、ましてやこの件以上に大変なことだって許容してきたようなタイプなのに、何故これだけはそんなに受け入れられないのか。そんな自分がまた嫌で悲しくて。これじゃ私が嫌いな愚痴垢と同じじゃん、なんて思った。

活動休止まで、その先まで嵐や二宮くんのことが好きだと思っていたけれど、完全に分からなくなった。なんなら結婚したら嫌いに振り切れてしまうような気までしていた。

日に日に大きくなるこんな感情を引きずったまま迎えた10月31日。私は昨年12月のコンサート以降、ワクワク學校や番組観覧などにも一切行っていなかったので、その日が久々の、そして活動休止発表後最初の嵐だった。
色んな感情を抱えて入ったコンサート。私は面倒くさくて理屈っぽい性格なので、すぐに頭でひとつのことをこねくり回す癖があり、コンサート中も色んな事を考えていた。

…が。

Breathless、Monster、truthやFace down辺りの二宮くんを前に、それら理性的な脳内活動すべてを上回る圧倒的本能的衝動が押し寄せてきた。
正直防振覗きながら「めっちゃ顔面ド性癖」ということしか考えていなかった。
あまりにも最低のオタクである。

そんなこともあり、「なんか難しいこと色々考えてたけど本能レベルで二宮くん好きだからもうどうしようもない抗えない」というアホすぎる着地点に至った一方、最後の二宮くんの挨拶を聞き、何故だかわからないけれど胸の中で突っかかっていたものが取れたような気がした。

その時の挨拶は以下のようなものだった。

僕は20年の節目を二度迎えます。ひとつめは自分の20年、ふたつめは嵐の20年。
自分が二十歳になった頃を振り返ると、すごく中途半端だったなぁと思います。「あれをやろう」と思った3分後にはやる気がなくなっていたり、何かをやりたいと思ってそのまま1年が経っていたり。
でも嵐として生きてきた20年間は本気で生きてきたと思います。中には死にそうなこともあったし、つらいこと、悲しいこともあった。ずっとどの瞬間も本気を保てていたかは分からないけれど、この20年は濃かったし、これからも忘れることはないんだろうなぁと思います。

この挨拶を聞いた時、私は素直に「二宮くんって中途半端な人じゃなくない?」と疑問だった。そこからふと、私は過剰なまでに二宮くんに夢を見て押し付けていたのかもしれない、という考えに至った。私は、アイドルでもなければ芸能関係に精通した人間でもないくせに「アイドルらしく」だとか「プロ意識」だとか宣うような害悪オタクになんてなりたくないと自分が思っていたくせに、心のどこかでそれを求めて押し付けていたのかもしれない。その証拠に、私は色々な噂に対して「二宮くんがそんなことするはずない」なんて思っていたのだから。

頭の回転が速くて冷静で、少しドライなようで人の懐に入るのが上手くて、素直じゃなくてひねくれてて、舞台上でお客さんに対してパフォーマンスをする時はどれだけ体が不調でも、痛み止めでもなんでもしようがそれを一切見せなくて、そんな私が見てきた二宮くんは確かに事実であり真実だ。ただ、それらの事実から私が勝手に作り上げた「二宮くんはこうだと思う」「二宮くんがそんなことするはずない」という像は所詮想像でしかなく真実ではない。きっと、こちらに見せていないところの二宮くんは、私が思っているよりはもう少し人間らしくて、かっこ悪いところもアイドルらしくないところもあるのだろう。きっと私は10年以上好きでいるうちに、彼のことを神格化しすぎたのだ。

そう考えたら色んな噂についても「まあそんなこともあるよね」と思えるようになった。
相手の過去の行動が明らかにやばいのは明白だと思っているので、その点に関しては「このやろう!」なんて若干の苦しさは抱えつつ。


そんな感じで11月に入り、インフルエンザの予防接種に負け、体調不良の結果処方された薬にも負け、副作用の胃痛と激しい戦いを繰り広げていた最中。

結婚が発表された。

完全にタイミング~~~~!!!!(胃痛的な意味で)という気持ちである。
活動休止の時もだったが、何故か勝手に私が気持ちの整理をしたところで発表されるので、個人的には特に胃以外は大荒れではなかった。

ただ、仕方ないとは思うけれどTwitterは荒れていた。ですよね。

きっと私のようなタイプの方が稀有だとは思っているが、私個人の感覚としては「過去は変わらないから変わらず好きなままでいる」ということ。中学生だった私が10年以上かけて拾い集めてきた二宮くんに対する“好き”は、今このタイミングで発表された事実によって歪められ否定されるものではない。私の中では「嫌いになる=過去の自分が集めた“好き”という感情を自ら粉砕して否定する行為」であり、今の私にとってそれはひどく辛く悲しいと思う。それは私にとっては必要のない行為だ。

もし今後、二宮くんが決めた道の先で、私が好きだと思った二宮くんと大きく隔たりが生まれる変化が起こってしまったら、その時はきっと自然と離れるんだろうなと思う。でも、今この時点でも二宮くんのことを好きになったことは一度も後悔していない。むしろ人格形成が行われるような時期から好きだったのだから、今私がこんなに楽しく生きている要因に少なからず二宮くんがあると思う。そう思うと感謝しかない。だから、その時が来たとしても、私は過去の自分を否定することも二宮くんを否定することもしない。今ならその自信がある。

「好き」という一言の中にはグラデーションのように色々な感情が込められていると思う。同じ人を好きになったとしても、それぞれの思い出や価値観で少しずつ相違が生まれてくる。だから、このような状況下で出てくる意見や感情も、その“好き”の相違と同じ数だけあると思う。それについてはどうしても起こり得るものだし、仕方のないことだ。だから私はこの状況下で「本当のファンならこうあるべき」というひとつのモデル像を提示するのは明らかに間違っていると考えるし、色々な意見があっていいと思う。その存在は否定しない。

ただ、私個人の感情として、二宮くんを傷つけることだけは絶対的に許せないし悲しくなるので、せめて私の前では発さないでほしいな、なんて我儘を思ってしまう。誰が何と言おうと、私が曲がりなりにも二宮くんに少なからず救われて生きてきたことは変わらないので。


こんだけ文章を書きつつも「おめでとう」が素直に言えないのはきっとどこかで寂しさがあるからだと思うので、また言えるようになったら贈ります。
代わりに一言。



二宮くん、どうかずっと幸せでいてね。大好きです。

*1:この時の感情としては、高校三年生の冬に私の友達がクラスメイトの男の子と付き合いだし、毎日のように自習の時間に二人で合わせて教室を抜け出すのを目の前で見ていた時のそれに近い。伝われ。

永久と希望の歌

私の母親は近藤真彦さん以来、SMAP、嵐、NEWS、Sexy Zone…と、今でも現役でオタクをしている。そんな母親のもとに生まれた私は、物心つく前から当たり前のようにSMAP×SMAPを見ていたし、SMAPのメンバーの名前はフルネームで全員言えた。それが1990年代の話だ。

1999年、嵐がデビューした。当時はまだ小学校に上がっていなかったが、母親の車内で嵐の曲が流れていたことは覚えている。小学校に上がり、初めて私がかっこいいと思った芸能人が「ごくせん」の松本潤だった。24時間テレビでギターを弾いていた二宮くんに、名前も分からないままにひとめぼれした。大好きで毎週見ていたドラマのひとつが、櫻井くんが出ていた「よい子の味方」だった。この頃はまだそこまで芸能人に興味がなかったので、ぼんやりとした記憶でしかないものの、確かに私の生活には気づけば嵐がいた。

2005年、「花より男子」が放送された年。この時私は小学6年生になっていた。この頃になると、周りにもジャニーズ好きな子が多くなっていて、「道明寺と花沢類、どっち派?!」なんて会話がされていた。「ごくせん2」の仁亀論争や「野ブタをプロデュース」の亀P論争も同時期だっただろう。この頃から、年齢もあり今ほどではないものの、嵐のことが好きだったと思う。

中学校に上がった頃には、嵐はどんどん人気になっていた。ふわふわと母親の横で嵐を見ていた私にとって決定的だったのは中学3年生のことだ。最強の大野担と同じクラスになったのだ。彼女は当時大野くんが使っているとされていた香水をティッシュにしみこませて登校していたし、もしコンサートで大野くんが投げたタオルをゲットしたら冷凍保存すると言っていた。(最近会った彼女いわく、あの頃は病気だったらしい)そんな彼女の家に行き、一緒にDVDを見て、たまにジャニショに行き、火曜日には宿題くんの話をしていた。楽しかったなぁ。

この頃の私というのは、嵐で好きな人を聞かれたら「櫻井くんと二宮くん」と答えていた。優柔不断かよ。

中学を卒業し、彼女とは別々の高校に進んだ。中学時代はまだFCに入っていなかった彼女と私がFCに入ったのはこの頃のことだ。FCに入るにあたり、好きな人を1人選ばなければいけないという大問題に直面した私。当時はFC代の半分を母親に出してもらうという話だったのだが、母親から「潤くんか翔くんか大野くんがいいな~」と選択肢を限定されていた。にのあい信者の今の私が聞いたらぶちギレ案件である。そんなこんなで櫻井くんで登録した。嘘はついてない。これについては後述する。

私が初めて行った嵐のコンサートは5×10、1月17日のナゴヤドームだった。土曜日に高校で模試を受けた後にグッズを買いに行ったら目の前でチャームが売り切れたの、今でも忘れないな。

高校時代はSNSもやっていなければスマホでもなかったけれど、ネットを通じてそれなりにオタク生活を楽しんでいたと思う。2010年頃はにのあいに狂ったなぁ。国立ちゅー事件とか、じゃじゃ丸事件とか、Android auの相葉さんの告白とか、スーパーマリオGalaxyとか、供給過多すぎませんでした?最高かよ。ちなみにじゃじゃ丸事件の公演行きました(自慢) その公演でスタンド最前に入ったこと、One Loveで二宮くんのフロートが目の前に止まったことは一生の思い出だと思う。ちなみに翌日熱出した(馬鹿) この辺りから、「“アイドルとして”好きなのは二宮くんなのでは…?」と悩みだすようになる。

2011年、受験の年。この年は日本全体にも暗い雰囲気が漂っていた。嵐が果てない空を歌っているのをよく見た記憶がある。とは言うものの、絶対に行きたい大学、学部が出来た私は勉強に専念しており、あまりTVを見なくなっていた。


さて。今やにのあい信者の二宮担な私だけれど、中高時代に「好きなのは櫻井くんと二宮くん」と言っていたのは本当に嘘ではなくて。今も昔も、私にとって、櫻井くんは道標のような人だ。中学、高校時代にZEROやそれに付随した特集をもれなく見ていたのだけれど、そこでよく昔の大戦や今起きている世界の紛争、歴史について話していた。それを見ていた私は「絶対に大学で世界史をやりたい」と思うようになった。知ることが抑制力になると思ったから。そして、知ったうえで伝えないといけないと思ったから。
受験期は、勉強が嫌いなわけではなかったけれど、プレッシャーや不安で本当につらくて、何度も何度もめげそうになった。その度に、櫻井くんのことを思い出していた。

ずっとずっと勉強詰めの毎日だったけれど、センター試験の直前、1月8日。Beautiful Worldがナゴヤドームで開催された日。自分の中で、最後の模試で点数を取れなかったら行かないと決めていた公演だった。無事に取れたご褒美として、頑張る糧として、この公演に参戦した。最初に歌われた「僕が僕のすべて」を聴いたとき、涙が止まらなかった。本編ラストで歌われた「果てない空」は、その後受験を乗り越える時に何度も何度も私を支えてくれた。アンコール最後の「エナジーソング」で聞いた「一番になって必ず戻るから ここ 名古屋に」というフレーズを胸に、絶対受験を乗り越えてまたここで嵐に会ってやると頑張っていた。普通ならあり得ないと思うけれど、この公演に行くことを許してくれた母親には今でも感謝してもしきれないな。


無事志望校に受かった私は、サークルやバイトなどでなんだかんだ忙しい毎日を送りつつ、オタク生活も楽しんでいた。大学2年生頃にはTwitterでオタク用のアカウントを作って、知り合った人たちとコンサート等で会ったりお休みの日に遊んだりするようになった。今はもう繋がっていない人もいれば、今でも嵐のみならず関係ない共通の趣味で仲良くしている人もいるけれど、嵐がきっかけでできた繋がりがたくさんあった。

大学時代には、気づけばすっかり二宮くん可愛いかっこいいにのあい尊いと言っていて、社会人になった今でも変わらずにのちゃん可愛いにのあい尊いと言っている私だけれど、私は嵐だけを真っ直ぐに追い続けていたわけではなかった。嵐だけを純粋に追いかけている人に、どこか申し訳ないという気持ちはいつもあった。

これは仕方のないことだと重々承知しているけれど、嵐以外の私の好きな人が嵐ファンの人たちに袋叩きにされているのを見たとき、すごく傷ついたし、本気で嵐を好きでいていいのか悩んだ。これ以外でも、嵐を好きでいると、嵐本人たちと関係のないところで傷つけられることがあって、好きでいることを何度も諦めかけた。それでも、私にとっては傷つきながら好きでいることより、好きでいることを諦める方がつらかった。


2018年12月。中学3年生に出会った大野担の彼女と、5×20のナゴヤドームに参戦した。彼女と参戦するのはこの日が初めてだった。彼女と2008年に出会って10年の記念の公演に行ったこと、不思議なめぐり合わせだと感じた。

私が初めて行った嵐のコンサートである5×10と一緒のナゴヤドーム、1曲目の「感謝カンゲキ雨嵐」。どうしても嵐と過ごした年月、思い出を思い出してしまって、オープニングから涙が止まらなかった。二宮くんを見て、「初恋を人間の形に具現化するなら、私の場合は二宮くんみたいになるんだろうな」と思った。好きの形や温度は変われど、間違いなく私はずっと二宮くんのことが好きだった。

5×20の演出で忘れられなかったものが2つある。「果てない空」と「アオゾラペダル」だ。ふせったーに長文で投げたものを引用したい。

~~~~~~~~~~

二宮くんの果てない空でお花が咲く演出について
(2018年12月16日13時47分投稿)
真っ暗で何も見えない中を二宮くんが1人で歩いていくんだけど、二宮くんが歩いた跡に少しずつ草花が芽吹き始めて、色鮮やかな世界を描いていく演出。 その時に歌っているのが果てない空で、それもいつもの歌割りじゃなくて二宮くんのソロパートが多めに振り分けられている。

この歌が主題歌だった「フリーター、家を買う」の印象や、2011年にこの歌がよく歌われていた印象も大きいと思うのだけれど、果てない空って泥だらけで前が見えない真っ暗な中でも、呆れるほど不器用だけど、未来の小さな夢、希望に向かって歩いていこうっていうイメージがある。
その道程には、涙が溢れる日も諦めそうになる日もあると思う。

それでも、歩いていく。

そうしてたどり着いた未来の景色は、草木が芽吹いていて、蝶が飛んでいて、虹がかかっている、明るくて色鮮やかな世界。
最初は真っ暗な中をにのみやくんが1人で歌いながら歩いているのだけれど、少しずつ4人の声が重なってきて、二宮くんの方へ歩いてきて、色鮮やかな草木が広がる頃には4人がにのみやくんの隣にいる。

色鮮やかな夢の世界を見るのは嵐5人一緒じゃなきゃダメなんだと思う。

埋まらない席を布で隠してもらって半ば無理やりツアーを回らせてもらっていたことも、嵐をどうしたらいいかが見えなくて、毎晩毎晩コンサート終わりに遅くまでどうしたらいいか5人で話し合っていたこともあった。
そんな彼らが、今までで無駄なものなんてなかったと言う。

5人で歩いてきた20年、今5人で見ている風景が色鮮やかで輝いていたらいい。

~~~~~~~~~~

櫻井くんのアオゾラペダルの演出について
(2018年12月16日14時08分投稿)
二宮くんは真っ暗な世界に色鮮やかな草花を芽吹かせていったけれど、櫻井くんはモノクロの世界に色をつけていっていた。 果てない空の主人公は20代の社会人って感じなんだけど、アオゾラペダルはもう少し若い、10代半ばから20代前半の学生くらいなイメージがある。

大人は塗り絵を綺麗に塗ろうとする。
「ここはこうだからこの色でなければいけない」と、違う色で塗る者に口を出したり笑ったりする。

果たして正しい色とは何なのか。
自分をよく見せようと必死に取り繕って綺麗な色ばかりを重ねて、かといって周りから浮きたくないから、笑われたくないから必死に周りに合わせて。 でもそんな自分に中身なんてなくて、どこかでつまづいて。

その失敗をなかったことになんて出来ないけど、それでもいいんだって気づけたら。 そうしたら、明日に向かって自分らしい新しい色で世界を描くことが出来る。

櫻井くんや嵐がモノクロの世界に付けた色は、赤、黄、緑、青、紫だった。

嵐らしい、嵐の色で世界を彩っていた。

その世界では、真ん中に5人が寄り添って笑っている。

櫻井くんは「この5人なの?」が「この5人なら」に変わり、もう今は「この5人じゃなきゃ」ダメなのだと言い切った。 それは他のメンバーも一緒なんだろうと思う。

~~~~~~~~~~

これらの演出を中心に、嵐の5人がそれぞれ嵐のメンバーのことを大好きで、「嵐=5人だということ」を痛感するコンサートだったと思う。


2019年1月27日。私は朝から仕事に出ていた。たまたまだろうけれど、午前中に仕事をしている中で、Popcornのカバンを持ったおばさま、スマホの画面が緑の嵐マークだったお姉さんに出会った。声こそかけなかったものの、「嵐ファンってどこにでもいるな、すごいな」と思った。
夕方、現場から戻った時、母親からLINEが来た。

「嵐が活動休止だって」

真っ先に、何か悪いことが起きたのではないかと思った。すぐにTwitterを開いた。悪いことが起きたわけではなかったものの、みんなが困惑していた。まだ仕事中だった私は、ひとまずコメントや動画は帰ってからと決めて職場を出た。
仕事を終えて、バス停でバスを待っていた時、隣に部活終わりの中高生と思わしき3人が座っていた。女の子が2人と、男の子が1人。
最初は気に留めていなかったが、聞き覚えのある声がその子たちの方から聞こえた。潤くんの声だった。3人は、これから私が家で見るであろう動画を見ていた。途中で、男の子が泣きだした。どれだけ多くの人に嵐は愛されているんだろうと思った。


私は「アイドルとは何か?」「好きでいることはどういうことか?」ということをよく考えている。私にとっての「アイドル像」や「好きの形」は年月を経ながら変わっている。
2019年、年が明けた頃から、たまたまではあるがこれらのことについて深く考えていた。

いつからか、私は自担たちに対して「アイドルなんて言葉で縛りつけてごめん」という罪悪感を抱くようになっていた。それこそ中高生の頃は「プロならプライベートを隠してくれ、夢を見せてくれ」などと少なからず思っていた記憶がある。ただ、どこかのタイミングで彼らの不自由さや人間に偶像を背負わせることの重さを感じるようになった。勝手に好きになって、勝手に期待して、勝手に裏切られた気持ちになって、勝手に離れていく。「好き」ってなんて自分勝手な感情なんだろうなと、ずっと考えていた。

こう考えている中で、アイドルのファンは、アイドルという人の人生を、彼らも私たちと同じ人間であることを半ば忘れているかのように消費して勝手に幸せになっているんだなと思った。ファンに彼ら・彼女らの自由や人生を奪う権利なんてないと思ったし、こんなに縛られて自由のない「アイドル」という職業を強いるなんて残酷だとまで感じた。私は生まれた頃から当たり前のようにアイドルを見てきたし、アイドルのことは間違いなく好きだけれど、アイドルという職業を肯定できないと思った。

それならせめて、私の好きなアイドルの皆さんには、「好き」「ずっと味方でいる」ということしか伝えたくない。「好き“だから”~」という、自分勝手な好きを理由に、好きのその先にある自分のエゴを押し付けるなんて絶対したくない。
こうした考えに至り、年明けからもやもやとしていた思考が整理されたのが、自分のTwitterから推察するに1月22日のことだった。


皮肉にも、自分の中でこうした考えに至った直後に嵐の活動休止が発表された。私の思考を読み取っていたのかと疑いたくなるくらい、既に気持ちが整理された中での発表だった。号泣する準備はできていたから、涙なんて出てこなかった。「そっか、そうだよね」と、受け止めるしかできなかった。いつも思うことだけれど、こういう時に私は意味が分からないほど冷静で、もっと泣きわめいたりして感情的になれたら私はもう少し生きやすいんだろうな。


今、会見を見ながらこの記事を書いている。彼らはこんな時でも変わらず嵐だな、なんて思いながら。こんな時でも変わらない雰囲気の彼らに救われながら。
以前、二宮くんは「嵐は基本的に多数決だけれど、1人でもやりたくないと言ったときは絶対にやらない」と言っていた。今になって、こういうことだったのかな、と思っている。嵐5人がこだわり続けた「5人で嵐」ということ、“5×○”の、“5”という数字が変わらないことの意味、重さ。1人でも欠けるなら、それは嵐ではないということ。

自分でもわけがわからないほどに気持ちは落ち着いているし、落ち始めるとどこまでも落ち続けるタイプだから明るく振る舞うようにしているけれど、ふとした時に寂しくなって泣いてしまうんだろうなと思う。今もまったく寂しくないと言えば嘘になるけれど。


私の好きな嵐の楽曲のひとつに「PIKA★★NCHI double」がある。2004年、当時まだ20代前半だった嵐が歌っていたこの楽曲に漂う青臭さが今でも好きだ。私は何故か、嵐が未来のことを語る時はいつもこの曲を思い出してしまう。

“いつまでも語り続ける 永久と希望の歌を たとえ今だけと分かっていても”

未来のことを語る嵐は、いつも笑顔だった。永遠なんてないと、嵐もファンも、誰もが心のどこかで分かっていたと思う。それでも、永遠があるのではないかと夢を見てしまう力が嵐には確かにあった。


2020年12月31日を、私がどんな気持ちで迎えるのかは今はまったく分からない。ただ、その時も変わらず私は、二宮くんのことが、嵐のことが好きなんだろう。なんなら、その先もずっと二宮くんのことが好きだと思う。ずっと私にとって初恋のような人だと思う。

私にとって、嵐は人生だと言っても過言ではないと思う。彼らがその日まで自分たちらしく笑って描く景色を、しっかりと心に刻んでいきたい。

"Thunder"私的解釈-アイドルの偶像性

1.はじめに

EPCOTIAのアルバムが発売され、増田さんのソロ曲である“Thunder”を初めて聴いた時、何か引っかかるものを感じました。
そのまま歌詞カードを開き、もう一度聴き直し、歌詞を咀嚼しているうちに、「これはアイドルの歌だ」と気づき、それからは心が痛くなって泣けてしまって仕方がありませんでした。

増田担ではない私が、ここまで自分なりに好きに解釈していいものかと迷いましたが、この歌には向き合わなければいけない気がしたので私なりに文章にしてみることにしました。

が。

EPCOTIAツアーが始まる前に書き始めていた本記事。
ツアーでソロ曲の演出等を見て、解釈が変わる前の状態のものを書きたいと思い、大半は書き終えていました。

ですが、気づけばツアーが始まったどころかたまアリで味スタが発表され、なんやかんやで大晦日

散々迷いつつも、2018年のことは2018年に終わらせておこうということで、2018年3月末に書いたものに少し加筆修正しつつ公開してみました。

ちなみに、大半を書いたのは3月末ですが、読み返してみると「今これを書くと違う解釈をされてしまうのでは?」ということも多々ありました。
修正しようか迷いましたが、そこはそのまま残してあります。

2.「アイドル」という存在

さて、Thunderの解釈に入る前に、「アイドル」という存在について再考しておきたいと思います。
私のThunder解釈はこのお話が前提になっているところがありますので、しばしお付き合いいただけると幸いです。

「アイドル」がどのような存在かと聞かれると、その答えは人それぞれ違うでしょう。
頑張る力をくれる存在、わが子のように愛でる対象、恋愛対象……どれも間違いはないと思います。

「アイドルとは何か」という話になるたびに思い出すのが、嵐の二宮くんが2014年のハワイコンサート*1で使った「神格化」という単語です。
二宮くんの話に則ると、アイドルは「神格化された普通の男の子(女の子)」ということになります。

「アイドル」という単語の由来は多くの人がご存知かと思いますが、英語の"idol"=「偶像、崇拝される人」です。
偶像というと宗教のお話でよく聞く単語ですね。
神様という存在とアイドルという存在は、どこか似ていると私は感じています。

神という存在は、人に信じてもらえないと存在していることにならないという話があります。
いくら神を名乗ったところで、誰にも信じてもらえなければ神にはなり得ない。それは存在していないことと同じです。

私は、アイドルはある意味ではこの世に存在していない存在だと思っています。
人々の願望、羨望、欲望、希望などが混ざり合って創造された虚構。
それはあくまで、人々の「そうであってほしい」という理想像ですから、この世には真の意味では存在していません。
そんな虚構、人々の理想を背負ってステージに上がる存在がアイドルだと考えています。
その人自身が本当はどんな人間かは関係ありません。
人々の「こうあってほしい」をステージの上で魅せる存在だから。

アイドルが「神格化された普通の男の子(女の子)」だとするのであれば、虚構を真実のように魅せること。
これがアイドルがアイドルでいるための条件のように思います。


3.Thunderという楽曲

(1)
この楽曲を最初に聴いたときに、一番に感じたのが「喉を壊してしまうのではないか」でした。
増田さんはもともと喉が弱いタイプですし、試行錯誤して喉を痛めないようにした結果が今の発声、歌い方だと思っているので、その歌い方を崩した上に喉に負担がかかるような発声をしていることに驚かずにはいられませんでした。


(2)
歌詞に目を移していきたいと思います。

"Don't cover your ears…”から始まるこの楽曲では、曲中「聞こえるか?」と何度も問いかけてきます。
以前の増田さんのソロ曲である「LIS’N」*2でも「聴こえてるか?」「LIS'N」と歌っていましたが、あの時とは違い、今回の楽曲ではもっと切々と訴えてくるものがあるように感じます。
声がかき消されるほどの土砂降りの雨の中、必死で「聞いてくれ」と叫んでいるような。

"Live in someone's dream pretending to be someone real?"

「誰かの夢の中で、本物として生きるの?」
ここの詞で、これはアイドルの歌だろうと私は推察しました。理由は第2節を読んでいただいていればすぐお分かりかと思います。
他の方のThunder解釈もいくつか見ましたが、ここの見解は一致しているものが多かったように感じました。

"Hurting under smiles and loosing identity?"

「笑顔の下で傷ついて、自分らしさをなくしていくの?」
「アイドルはいつだってニコニコしていなければいけない」という認識は、アイドルのファンであってもなくてもどこかにあるのではないかと思います。
何かが起きて、どれだけ辛くても、どれだけ悲しくても、どれだけ傷ついても、ステージの上に上がったら笑顔で夢を魅せなければいけない。
それは時に自分を、自分らしさを押し殺すことになるでしょうし、自分らしさがなくなっていくことになるのかもしれません。

このふたつの問いかけに、楽曲ではこう答えています。

"No! My life is MY LIFE!!! 見くびるな 自分で支配するんだ"

ファンを含めた世間の人たちの勝手な理想=誰かの夢を演じて魅せるのではなく、自分は自分として生きる。
ここはある種の宣誓のようにも聞こえます。

「見くびるな」という詞ですが、これはアイドルを批判するアンチだけでなく、ファンにも向けられているのかなと感じました。
ファンという存在は、その対象への愛故に過保護になってしまう時があります。
これは度合いがすぎてしまったり、方向性を間違えてしまうと、ファン本人は「ただ愛を叫んでいるだけだ」と思っていても、その対象を下に見て過小評価していることになってしまうと思うんです。
たとえば、「うちの人は○○できないんだから、周りが気を遣ってよ」というような発言。「○○できないんだから」という時点で完全に見くびっていますよね。
ここのフレーズは、こういう声に対して「勝手に限界を決めないでくれ」と言っているように思いました。

"No...哀れむな いちいちフラついてられないんだ"

こちらのフレーズですが、何か起きた時に、世間の人からアイドルに届くのは批判だけではありません。哀れみの声も届きます。
「メンバーが減ってしまってかわいそうに」だとか、「○○が起きてしまったせいで、巻き添えくらってしまってかわいそうに」だとか。
でも、そこでずっとめそめそ立ち止まっていられない。ふらついている暇はない。前に進まないといけない。

ここの2節についてですが、""でくくられた英語詞も、それに対する答えも、どちらも同一人物=アイドルの言葉だと解釈しました。
つまり、アイドルが自問自答している状態です。

"どしゃ降りの雨に 吹き荒れる風に身をすくめて"

曲中、「雷」だけでなく「雨」や「風」といった天候に関係した単語が何度も出てきます。
こうした単語はすべて何かの暗喩だと思うのですが、この解釈の違いが面白いので皆さん考えてみてください。Thunder解釈大会しましょう。(突然の呼びかけ)
私は「雨」「風」ともに世間一般の人々の声だと解釈しました。アイドルに全く興味のない人々の声が主だと思いますが、場合によってはファンも含まれるように思います。「どしゃ降り」「吹き荒れる」とあるので、どちらかといえば批判的な声です。
世間の非難を受け、身をすくませながら、言いたいことも言えずに押し殺して、泣いて…。

この後の"Am I still your star? Still your charisma? Am I still your hope? Still your hero?"という問いかけ。
最初に歌詞を読みこんだとき、なんて痛々しくて辛いんだろうと思いました。
先述した"No! My life is MY LIFE!!! 見くびるな 自分で支配するんだ"という詞ではアイドルの虚構性に抗っているのに、ここではアイドルの虚構性、偶像性に必死ですがりついている。
"star"「スター」、"charisma"「カリスマ」、"hope"「希望」、"hero"「英雄」という単語の選び方が、なかなか偶像崇拝的だなと感じました。(後半の方がより偶像崇拝的ですが…)
というのも、"charisma"や"hero"には「崇拝の対象となるような存在」というニュアンスが含まれています。
崇拝、信仰の対象となるもの=神。
ここから、"Am I still ~ your hero?"は「まだ神格化されるような存在=理想のアイドルでいられている?」と、繰り返し単語を変えて問いかけていると考えられます。誰に問いかけているかというのは、"your"「あなたの」が指す対象……私は、この場合はファンだろうと考えました。

"吹き荒れる風に"=止まない非難の声に対して、
"on and on and on..."=絶えず、ずっとずっと、
"聞こえるか?"と問い続け、
"I cry, I cry, I cry, I cry..."=泣いて、泣いて、泣き続けて*3
"I try, I try, I try, I try..."=もがいて、もがいて、もがき続けて…

そしてまた問いかけます。

"Still your star? Charisma? Still your hope? Hero?"

「まだ君のスターで、カリスマで、希望で、英雄でいられてる?」

「まだ、アイドルでいられてる?」


(3)
楽曲はここから2番に進みます。
“変わる雲行きにたじろがずに”、ここでは世間の流行り廃りや、人々の興味の移り変わりをさしているのだろうと思います。
追い風が吹くこともあれば、逆風が吹くこともある。

次の“いつか風向き変わり I’ll be nobody”ですが、世間だけでなく、ファンの子の興味もそのアイドルから他のものに移り変わることもあるでしょう。
そうなると、その子にとってそのアイドルは何者でもなくなってしまうのかもしれません。

アイドルを好きでいた頃の思い出を、色鮮やかにキラキラしたまま持っていられるならいいですが、実際は全員がそういうわけではありません。
興味は他のものに移っているのにいつまでもずるずるしがみつきながらアイドルを下げる人、はたまた昔好きだったアイドルを下げる発言をする人。
そんな人たちにとって、アイドルを好きだった頃の記憶は色褪せた“モノトーンに染まる昔話”なのではないかと思います。
そんな発言に対する“let me fade away”、記憶から消えさせてくれなのかな、と。

“この歪んだ声が聞こえるなら”、それはきっと、アイドルとして理想とされる発言から離れた叫びのことなんだと思います。
アイドルとしてではなく、“同じ血が通う”人間としての叫び。
同じ人間なんだから、傷つくことも葛藤することもある。

そして繰り返されるフレーズ。

“Live in someone's dream pretendind to be someone real?”

=誰か(ファン)の夢の中で、いかにもその夢が本物だと思わせながら生きるのか?

前述しましたが、私はアイドルのことを虚構を真実のように魅せる存在だと思っています。
人々の理想、夢をいかにも本物のように魅せること。

ただ、その裏には計り知れないほどの葛藤や苦悩があるのだろうと思います。
特に“吐き出したい言葉飲み込んで たまにはトボけたピエロも演じて”。
言いたいことも言えなくて、傷つくことや悲しいことがあっても隠して笑ってみせる。

“Hurting under smiles and loosing identity?”

=笑顔の裏で傷ついて、自分らしさを失っていくのか?

“I’m like you, like you, like you, like you...”


ここでも同じ人間だと、繰り返し叫んでいる。
皆と同じように“Smile and break”=笑うし傷つく。

そんなことなどお構いなしに、世間の人たちはアイドルに罵詈雑言を投げつけることがあります。
まるで感情などないサンドバッグを相手にしているかのように。
そんな“よこなぐる雨”や“吹き返しの風”に立ち向かって、“声を出し尽くして”叫び続ける。

この後は前半と異なるワードが使われています。
“dream”=夢、“glory”=栄光、“faith”=信仰、“fantasy”=幻想。
前半よりもより実体のないもの。
実体がないが故に、こういった存在でいることは難しい。

ここでまた、“聞こえるか?”という問いが入ります。

“I feel and bleed like you...”

=自分だって同じように感情があるし血が流れてる、

“I smile and cry like you...”

=自分だって同じように笑うことも泣くこともある、

“I’m just a man like you...”

=自分も同じ、ただの人間だ。

その上で問う。
「まだ、あなたの夢で、誇りに思われる信仰の対象で、幻想でいられているか?」

そしてこの歌は、最後にまた“聞こえるか?聞こえるか?”と問いかけ、激しい感情をぶつけるようにして締めくくられます。

“バイアス越しに何が見えるの?”

人は気づかないうちに、偏った見方で物事を認識し、理解していることがあります。はたまた、他人の言葉をそのまま鵜呑みにして、理解した気になっていることもあります。
無意識の偏見越しに、あるいは他人というフィルターを通して、一体何が分かるのか?

“その情報誰が流してるの?”

SNS等が発達し、気づけば探しにいかなくても情報が流れてくる。情報は飽和状態なのかもしれません。
便利な飽和状態に慣れ切ってしまったからこそ、何も考えずに流れてきたものを真実だと思ってしまう。
誰がどんな意図の下で書き、拡散しようとした情報なのか?

アイドルは、アイドルという偏見なしには世間に評価されないものだと思っています。
アイドルというだけで馬鹿にされることもある。
アイドルというだけで悪意を向けられる対象にもなりえる。

“破れる傘で何を凌ぐの?”

世間から浴びせられる批難の声(=雨)を、既に散々傷つけられてボロボロになった傘で防ぐことが出来るのか。

“当たり前のように雨は上がるの?”

この状況も、天気の雨のようにいつかは終わるのか?

4.おわりに

これまでも記述したとおり、私はアイドルのことを夢を魅せてくれる存在だと思っています。
その一方で、人間が偶像として存在し続けることの限界も感じつつあります。
神格化されてしまうアイドルだからこそ、普通の人とかけ離れた存在だと思われてしまう。

それは時に、彼らのことを傷つけることになるのかもしれません。
周囲の人たちに面と向かっては言えないような罵詈雑言を遠く離れた彼らには平気で言えてしまうし、やってはいけないことも平気でしてしまう。
彼らだってただの人間なのに。

夢を魅せてくれている彼らは、私たちと同じ人間だということ。
至極当たり前のことですが、改めて忘れてはいけないことだと思いました。

*1:「ARASHI BLAST in Hawaii」(2015年4月)参照

*2:「QUARTETTO」(2016年3月)、「NEWS LIVE TOUR 2016 QUARTETTO」(2016年12月)参照

*3:余談ですが、"cry"という単語、単に「泣く」と訳してしまいがちですが、「泣き叫ぶ」というニュアンスの「泣く」という単語になります。静かにすすり泣く時には"sob"という別の単語を使用します。この楽曲で"cry"が使われていることにも意味があるのかな、なんて。

Hip Pop Boogie chapterⅡによせて

私が好きなものに対して思うことを文章として残したいと思ったきっかけの1つが、ツイッターでやった「#DMで来たふざけた質問もガチな質問もできる限りTLで答える」というタグでした。


その中の「『Hip Pop Boogie chapterⅡ』で、すきな歌詞はどこですか?」という質問。それに対する答えはもちろん140字には収まらず、答えを画像4枚に分けて添付するという事態に。笑

 

その時の私の答えを加筆修正しつつ、『Hip Pop Boogie』という曲を中心にアレコレ述べていきたいと思います。


1.『Hip Pop Boogie』について

嵐ファンの人じゃない人も見ていると思うので、ざっくり『Hip Pop Boogie』という歌について。2008年4月に発売された『Dream "A" live』の初回盤に収録されている1曲で、櫻井翔さんのソロ曲です。作詞も櫻井くんがしていて、ほぼ全編ラップ。映像として残っているのはARASHI AROUND ASIA 2008、アラフェス'13(と、後述する宮城ライブ)*1

好きな歌詞として挙げたのが、「ステージ上終身雇用」と「MY LIFE IS MY MESSAGE」。

 

嵐になる少し前、櫻井くんはジャニーズを辞めようと思っていました。ジュニア時代から有名私立の男子校に通っていましたし、色々なインタビューなどから察するに、様々な且つ相当な葛藤があったのだろうと思っています。それを強く感じたのが、櫻井くんが32歳の時に雑誌で書いた、17歳の自分への手紙。


「1999年。嵐になる直前。(中略)“はぁ…。なんだこれ…。とんでもないことに巻き込まれた。辞めようと思っていたのに。”そう思っていることと思います。イラついて、ピリピリしていると思います。」*2

 

1999年のデビューこそ華々しかったものの、嵐はなかなか上手くいかない時期も長くありました。
その後、嵐は2005年の花より男子のヒット、2006年初のアジアツアー、2007年初の単独ドーム公演…などと、徐々に一般の人たちからの知名度も上がり、人気も獲得していきました。そうして2008年春から初夏。『Dream "A" live』を引っさげたツアーで初めての5大ドームツアーを行います。9月には、初めての国立霞ヶ丘競技場でのコンサートも行われました。

 

この時に歌われたのが『Hip Pop Boogie』でした。
辞めようと、とんでもないことに巻き込まれたと思っていた17歳の櫻井くんが、26歳になって「ステージ上終身雇用」と、たくさんのファンの前でキラキラしながら歌っている。どれだけの葛藤があったか、どれだけの壁にぶつかったのかは私にはとても推し量ることはできません。ただ、それでも辞めずに、かつこの先ずっとステージの上で輝き続けてくれるという力強い覚悟のようなものをこのワンフレーズから感じます。
さらに「MY LIFE IS MY MESSAGE」。自分の人生すべてが自分の伝えたいことだと言い切る。めっちゃかっこよくないですか。

 

この2つのフレーズが、昔も今も大好きです。

 

 

2.「Hip Pop Boogie chapterⅡ」について①

まず「Hip Pop Boogie chapterⅡ」が何かといいますと、前項でチラッと言いました、2015年9月の『ARASHI BLAST in Miyagi』で歌われた櫻井くんのソロ曲。2008年の「Hip Pop Boogie」をベースに一部の詞が書き換えられています。今回は、この書き換えられた詞の中から、3つのフレーズを中心に書き進めていきたいと思います。

 

1つめは、「後追いどもみなまず至らず」。
この歌を聞いたタイミングが、櫻井くん・大野さん・シゲの『ZEROカルチャースピンオフ アイドルの今、コレカラ』*3を見た少し後だったんです。


この番組の終盤でシゲが言った「後輩は嵐の背中を追いかけますよ」に対して、櫻井くんが「全力で逃げ切るよ?(笑)」って言ったんです。
冗談っぽく笑い交じりで話していたのですが、このフレーズを聞いたときに一瞬で思い出したやり取りでした。
この時の櫻井くんの歌声や立ち姿に「ああ、到底この人には敵わない」と感じてしまって、色んな意味でグサッときたフレーズでした。

 

 

3.「Hip Pop Boogie chapterⅡ」について②


2つめは、「こんな景色はみんなのおかげ ここまで連れてきてくれるなんて」。
<b>まさか。翔さんが。この詞をあの場で歌うなんて。(衝撃)</b>
櫻井くんがファン想いじゃないなんて思っていないけれど、ここまでストレートな言葉を使うイメージがなかったんです。
戸惑いながらも嬉しいなぁって、「むしろお礼言いたいのは私だから!(泣)」なんて、涙を流しながら聞いていました。

 


4.「Hip Pop Boogie chapterⅡ」について③


3つめは、「大きな愛抱いたり願いたい未来また描いたり」。
2008年の歌が「あの時」の詞ならば、2015年のchapterⅡは「今」と「これから」についての詞だと思うんです。
2008年は嵐というグループが大きく動き始めたときで、詞も“自分たち”が中心で、どこか見えない先への不安と、5人で突き進んでやるっていう決意が端々に見られるような気がするんですよね。
それに対して、2015年は温かくて愛に溢れてる。“自分たち”から、外へ、“ファンの人たち”へ向けた詞も含まれるようになっていて、2008年に比べて外を見る余裕も出てきたのかな、と勝手に思っています。
それを象徴してるのがこのワンフレーズだと思うんです。だって、2008年のここの詞、「罵り合い大会なんて僕らは見たくないんだい」ですよ(笑)

 

まだまだ書き足りないことはたくさんあるのですが、すべて書こうとすると収拾つかなくなりそうなので(笑)
あと言いたいこととしては、コンサートの時、後ろのスクリーンでわちゃわちゃしているメンバーを背に、誇らしげに「いままでこれからもこのメンツです」と歌いきる櫻井翔くん、かっこいいの極みすぎる。
私にとって、いつだって櫻井くんは大きくて、ずっとずっと先にいる偉大な人なんです。
これからも、ずっとずっと5人の作る景色を追っていきたいと思います。

*1:2016年4月3日時点

*2:H, 2014年3月号より引用

*3:2015年7月30日0時59分~・日本テレビにて放送