パストラーレ

夢の世に かつ微睡みて 夢をまた 語る夢も それがまにまに

"Thunder"私的解釈-アイドルの偶像性

1.はじめに

EPCOTIAのアルバムが発売され、増田さんのソロ曲である“Thunder”を初めて聴いた時、何か引っかかるものを感じました。
そのまま歌詞カードを開き、もう一度聴き直し、歌詞を咀嚼しているうちに、「これはアイドルの歌だ」と気づき、それからは心が痛くなって泣けてしまって仕方がありませんでした。

増田担ではない私が、ここまで自分なりに好きに解釈していいものかと迷いましたが、この歌には向き合わなければいけない気がしたので私なりに文章にしてみることにしました。

が。

EPCOTIAツアーが始まる前に書き始めていた本記事。
ツアーでソロ曲の演出等を見て、解釈が変わる前の状態のものを書きたいと思い、大半は書き終えていました。

ですが、気づけばツアーが始まったどころかたまアリで味スタが発表され、なんやかんやで大晦日

散々迷いつつも、2018年のことは2018年に終わらせておこうということで、2018年3月末に書いたものに少し加筆修正しつつ公開してみました。

ちなみに、大半を書いたのは3月末ですが、読み返してみると「今これを書くと違う解釈をされてしまうのでは?」ということも多々ありました。
修正しようか迷いましたが、そこはそのまま残してあります。

2.「アイドル」という存在

さて、Thunderの解釈に入る前に、「アイドル」という存在について再考しておきたいと思います。
私のThunder解釈はこのお話が前提になっているところがありますので、しばしお付き合いいただけると幸いです。

「アイドル」がどのような存在かと聞かれると、その答えは人それぞれ違うでしょう。
頑張る力をくれる存在、わが子のように愛でる対象、恋愛対象……どれも間違いはないと思います。

「アイドルとは何か」という話になるたびに思い出すのが、嵐の二宮くんが2014年のハワイコンサート*1で使った「神格化」という単語です。
二宮くんの話に則ると、アイドルは「神格化された普通の男の子(女の子)」ということになります。

「アイドル」という単語の由来は多くの人がご存知かと思いますが、英語の"idol"=「偶像、崇拝される人」です。
偶像というと宗教のお話でよく聞く単語ですね。
神様という存在とアイドルという存在は、どこか似ていると私は感じています。

神という存在は、人に信じてもらえないと存在していることにならないという話があります。
いくら神を名乗ったところで、誰にも信じてもらえなければ神にはなり得ない。それは存在していないことと同じです。

私は、アイドルはある意味ではこの世に存在していない存在だと思っています。
人々の願望、羨望、欲望、希望などが混ざり合って創造された虚構。
それはあくまで、人々の「そうであってほしい」という理想像ですから、この世には真の意味では存在していません。
そんな虚構、人々の理想を背負ってステージに上がる存在がアイドルだと考えています。
その人自身が本当はどんな人間かは関係ありません。
人々の「こうあってほしい」をステージの上で魅せる存在だから。

アイドルが「神格化された普通の男の子(女の子)」だとするのであれば、虚構を真実のように魅せること。
これがアイドルがアイドルでいるための条件のように思います。


3.Thunderという楽曲

(1)
この楽曲を最初に聴いたときに、一番に感じたのが「喉を壊してしまうのではないか」でした。
増田さんはもともと喉が弱いタイプですし、試行錯誤して喉を痛めないようにした結果が今の発声、歌い方だと思っているので、その歌い方を崩した上に喉に負担がかかるような発声をしていることに驚かずにはいられませんでした。


(2)
歌詞に目を移していきたいと思います。

"Don't cover your ears…”から始まるこの楽曲では、曲中「聞こえるか?」と何度も問いかけてきます。
以前の増田さんのソロ曲である「LIS’N」*2でも「聴こえてるか?」「LIS'N」と歌っていましたが、あの時とは違い、今回の楽曲ではもっと切々と訴えてくるものがあるように感じます。
声がかき消されるほどの土砂降りの雨の中、必死で「聞いてくれ」と叫んでいるような。

"Live in someone's dream pretending to be someone real?"

「誰かの夢の中で、本物として生きるの?」
ここの詞で、これはアイドルの歌だろうと私は推察しました。理由は第2節を読んでいただいていればすぐお分かりかと思います。
他の方のThunder解釈もいくつか見ましたが、ここの見解は一致しているものが多かったように感じました。

"Hurting under smiles and loosing identity?"

「笑顔の下で傷ついて、自分らしさをなくしていくの?」
「アイドルはいつだってニコニコしていなければいけない」という認識は、アイドルのファンであってもなくてもどこかにあるのではないかと思います。
何かが起きて、どれだけ辛くても、どれだけ悲しくても、どれだけ傷ついても、ステージの上に上がったら笑顔で夢を魅せなければいけない。
それは時に自分を、自分らしさを押し殺すことになるでしょうし、自分らしさがなくなっていくことになるのかもしれません。

このふたつの問いかけに、楽曲ではこう答えています。

"No! My life is MY LIFE!!! 見くびるな 自分で支配するんだ"

ファンを含めた世間の人たちの勝手な理想=誰かの夢を演じて魅せるのではなく、自分は自分として生きる。
ここはある種の宣誓のようにも聞こえます。

「見くびるな」という詞ですが、これはアイドルを批判するアンチだけでなく、ファンにも向けられているのかなと感じました。
ファンという存在は、その対象への愛故に過保護になってしまう時があります。
これは度合いがすぎてしまったり、方向性を間違えてしまうと、ファン本人は「ただ愛を叫んでいるだけだ」と思っていても、その対象を下に見て過小評価していることになってしまうと思うんです。
たとえば、「うちの人は○○できないんだから、周りが気を遣ってよ」というような発言。「○○できないんだから」という時点で完全に見くびっていますよね。
ここのフレーズは、こういう声に対して「勝手に限界を決めないでくれ」と言っているように思いました。

"No...哀れむな いちいちフラついてられないんだ"

こちらのフレーズですが、何か起きた時に、世間の人からアイドルに届くのは批判だけではありません。哀れみの声も届きます。
「メンバーが減ってしまってかわいそうに」だとか、「○○が起きてしまったせいで、巻き添えくらってしまってかわいそうに」だとか。
でも、そこでずっとめそめそ立ち止まっていられない。ふらついている暇はない。前に進まないといけない。

ここの2節についてですが、""でくくられた英語詞も、それに対する答えも、どちらも同一人物=アイドルの言葉だと解釈しました。
つまり、アイドルが自問自答している状態です。

"どしゃ降りの雨に 吹き荒れる風に身をすくめて"

曲中、「雷」だけでなく「雨」や「風」といった天候に関係した単語が何度も出てきます。
こうした単語はすべて何かの暗喩だと思うのですが、この解釈の違いが面白いので皆さん考えてみてください。Thunder解釈大会しましょう。(突然の呼びかけ)
私は「雨」「風」ともに世間一般の人々の声だと解釈しました。アイドルに全く興味のない人々の声が主だと思いますが、場合によってはファンも含まれるように思います。「どしゃ降り」「吹き荒れる」とあるので、どちらかといえば批判的な声です。
世間の非難を受け、身をすくませながら、言いたいことも言えずに押し殺して、泣いて…。

この後の"Am I still your star? Still your charisma? Am I still your hope? Still your hero?"という問いかけ。
最初に歌詞を読みこんだとき、なんて痛々しくて辛いんだろうと思いました。
先述した"No! My life is MY LIFE!!! 見くびるな 自分で支配するんだ"という詞ではアイドルの虚構性に抗っているのに、ここではアイドルの虚構性、偶像性に必死ですがりついている。
"star"「スター」、"charisma"「カリスマ」、"hope"「希望」、"hero"「英雄」という単語の選び方が、なかなか偶像崇拝的だなと感じました。(後半の方がより偶像崇拝的ですが…)
というのも、"charisma"や"hero"には「崇拝の対象となるような存在」というニュアンスが含まれています。
崇拝、信仰の対象となるもの=神。
ここから、"Am I still ~ your hero?"は「まだ神格化されるような存在=理想のアイドルでいられている?」と、繰り返し単語を変えて問いかけていると考えられます。誰に問いかけているかというのは、"your"「あなたの」が指す対象……私は、この場合はファンだろうと考えました。

"吹き荒れる風に"=止まない非難の声に対して、
"on and on and on..."=絶えず、ずっとずっと、
"聞こえるか?"と問い続け、
"I cry, I cry, I cry, I cry..."=泣いて、泣いて、泣き続けて*3
"I try, I try, I try, I try..."=もがいて、もがいて、もがき続けて…

そしてまた問いかけます。

"Still your star? Charisma? Still your hope? Hero?"

「まだ君のスターで、カリスマで、希望で、英雄でいられてる?」

「まだ、アイドルでいられてる?」


(3)
楽曲はここから2番に進みます。
“変わる雲行きにたじろがずに”、ここでは世間の流行り廃りや、人々の興味の移り変わりをさしているのだろうと思います。
追い風が吹くこともあれば、逆風が吹くこともある。

次の“いつか風向き変わり I’ll be nobody”ですが、世間だけでなく、ファンの子の興味もそのアイドルから他のものに移り変わることもあるでしょう。
そうなると、その子にとってそのアイドルは何者でもなくなってしまうのかもしれません。

アイドルを好きでいた頃の思い出を、色鮮やかにキラキラしたまま持っていられるならいいですが、実際は全員がそういうわけではありません。
興味は他のものに移っているのにいつまでもずるずるしがみつきながらアイドルを下げる人、はたまた昔好きだったアイドルを下げる発言をする人。
そんな人たちにとって、アイドルを好きだった頃の記憶は色褪せた“モノトーンに染まる昔話”なのではないかと思います。
そんな発言に対する“let me fade away”、記憶から消えさせてくれなのかな、と。

“この歪んだ声が聞こえるなら”、それはきっと、アイドルとして理想とされる発言から離れた叫びのことなんだと思います。
アイドルとしてではなく、“同じ血が通う”人間としての叫び。
同じ人間なんだから、傷つくことも葛藤することもある。

そして繰り返されるフレーズ。

“Live in someone's dream pretendind to be someone real?”

=誰か(ファン)の夢の中で、いかにもその夢が本物だと思わせながら生きるのか?

前述しましたが、私はアイドルのことを虚構を真実のように魅せる存在だと思っています。
人々の理想、夢をいかにも本物のように魅せること。

ただ、その裏には計り知れないほどの葛藤や苦悩があるのだろうと思います。
特に“吐き出したい言葉飲み込んで たまにはトボけたピエロも演じて”。
言いたいことも言えなくて、傷つくことや悲しいことがあっても隠して笑ってみせる。

“Hurting under smiles and loosing identity?”

=笑顔の裏で傷ついて、自分らしさを失っていくのか?

“I’m like you, like you, like you, like you...”


ここでも同じ人間だと、繰り返し叫んでいる。
皆と同じように“Smile and break”=笑うし傷つく。

そんなことなどお構いなしに、世間の人たちはアイドルに罵詈雑言を投げつけることがあります。
まるで感情などないサンドバッグを相手にしているかのように。
そんな“よこなぐる雨”や“吹き返しの風”に立ち向かって、“声を出し尽くして”叫び続ける。

この後は前半と異なるワードが使われています。
“dream”=夢、“glory”=栄光、“faith”=信仰、“fantasy”=幻想。
前半よりもより実体のないもの。
実体がないが故に、こういった存在でいることは難しい。

ここでまた、“聞こえるか?”という問いが入ります。

“I feel and bleed like you...”

=自分だって同じように感情があるし血が流れてる、

“I smile and cry like you...”

=自分だって同じように笑うことも泣くこともある、

“I’m just a man like you...”

=自分も同じ、ただの人間だ。

その上で問う。
「まだ、あなたの夢で、誇りに思われる信仰の対象で、幻想でいられているか?」

そしてこの歌は、最後にまた“聞こえるか?聞こえるか?”と問いかけ、激しい感情をぶつけるようにして締めくくられます。

“バイアス越しに何が見えるの?”

人は気づかないうちに、偏った見方で物事を認識し、理解していることがあります。はたまた、他人の言葉をそのまま鵜呑みにして、理解した気になっていることもあります。
無意識の偏見越しに、あるいは他人というフィルターを通して、一体何が分かるのか?

“その情報誰が流してるの?”

SNS等が発達し、気づけば探しにいかなくても情報が流れてくる。情報は飽和状態なのかもしれません。
便利な飽和状態に慣れ切ってしまったからこそ、何も考えずに流れてきたものを真実だと思ってしまう。
誰がどんな意図の下で書き、拡散しようとした情報なのか?

アイドルは、アイドルという偏見なしには世間に評価されないものだと思っています。
アイドルというだけで馬鹿にされることもある。
アイドルというだけで悪意を向けられる対象にもなりえる。

“破れる傘で何を凌ぐの?”

世間から浴びせられる批難の声(=雨)を、既に散々傷つけられてボロボロになった傘で防ぐことが出来るのか。

“当たり前のように雨は上がるの?”

この状況も、天気の雨のようにいつかは終わるのか?

4.おわりに

これまでも記述したとおり、私はアイドルのことを夢を魅せてくれる存在だと思っています。
その一方で、人間が偶像として存在し続けることの限界も感じつつあります。
神格化されてしまうアイドルだからこそ、普通の人とかけ離れた存在だと思われてしまう。

それは時に、彼らのことを傷つけることになるのかもしれません。
周囲の人たちに面と向かっては言えないような罵詈雑言を遠く離れた彼らには平気で言えてしまうし、やってはいけないことも平気でしてしまう。
彼らだってただの人間なのに。

夢を魅せてくれている彼らは、私たちと同じ人間だということ。
至極当たり前のことですが、改めて忘れてはいけないことだと思いました。

*1:「ARASHI BLAST in Hawaii」(2015年4月)参照

*2:「QUARTETTO」(2016年3月)、「NEWS LIVE TOUR 2016 QUARTETTO」(2016年12月)参照

*3:余談ですが、"cry"という単語、単に「泣く」と訳してしまいがちですが、「泣き叫ぶ」というニュアンスの「泣く」という単語になります。静かにすすり泣く時には"sob"という別の単語を使用します。この楽曲で"cry"が使われていることにも意味があるのかな、なんて。