パストラーレ

夢の世に かつ微睡みて 夢をまた 語る夢も それがまにまに

私のSTORY、私の居場所

少し前に自分のTwitterのツイフィールを編集していた時、ふとTwitter歴と登録日が目に入った。

私がこのTwitterアカウントを作成したのは1年前、2020年5月24日だった。

 

そっか、もう1年か。いや、まだ1年か、とでも言うべきか。

 

1年前の私は手越担だった。

 

 

WORLDISTAの最終公演に私は友人たちと参戦していた。車に乗り込んで長野駅に向かうべく、最後の映像が終わった瞬間にダッシュで退場する気だった。いつも流れていたNEWS4人の映像が終わった後、走ろうとした時に始まったいつもと違う映像。

「STORY」が発表された瞬間だった。あの時の歓喜に沸く会場の様子も、泣き笑いながら車まで走ったことも、すべて昨日のことのように覚えている。

 

特設サイトで夏頃に募集された企画にもすべて参加した。募集されたのは"STORY"という手書き画像、現実の"STORY"の募集、未来の"STORY"-あなたの"夢"。

 

この時、私が送った夢は「好きな人たちとずっと一緒に幸せでいられますように」だった。

祈りにも似ていた。すがりつくような気持ちだった。

 

この募集が行われた2019年、年が明けて早々生きた心地がしていなかった。毎日起きた時にスマホを開くのが怖かった。思い返せば、2017年5月も同じような感情だったけれど。

色々なことが積もりに積もって、「どうかこの時が少しでも長く続いてほしい」と、多かれ少なかれ怯えながら過ごしていたと思う。「幕が上がった時にいなかったらどうしよう」って何回思ったか分からない。すごく幸せだったけれど、すごくしんどかった。ある種の麻薬みたいな幸福だったように思える。当時、自担がいなくなったら私には何も残らないんじゃないかと本気で思っていたし、それくらいどうしようもない依存状態だった。

永遠なんてないと分かりながら「好きな人たちとずっと一緒に幸せでいたい」と、あの時の私は願った。

 

 

1年前、色々な感情が蠢くTLを見るのがしんどくて、ほぼ誰にも教えずに今のTwitterアカウントを作った。最低限の情報収集はしたいし、自分の脳内を言語化してアウトプットしないと死ぬので、Twitterを辞めるという選択肢がない辺りが面倒くさい人間だなとつくづく思う。「多分、自担は帰ってこないんだろうな」と思いながら1か月くらい過ごしていた記憶がある。帰ってくると思えなかったくらいには、当時の自担のことを分かっていたつもりだ。

 

私は本当に同担が苦手で仕方なかった。仲のいい大好きな同担は片手どころか3本の指で収まるくらいだったし、1人は途中で降りたので実質2人しかいなかった。というのも、フォロワー数の多い人の発言=その担当の総意のように見えがちだと思うのだが、そういった人には私が観測できる範囲ではオンリー担のような人が多かった。意識的なのか無意識なのかそもそも自担以外見えていないのか分からないが、他のメンバーを若干下に見たような発言を見るたびに「ああ、しんどいな、苦手だな」と感じていた。結果的に「そもそも知り合わない」というスタイルでオタクをしていた。

 

当時の自担がボロクソ言われるのも当時はつらかったけれど、当時の同担が3人のこと悪く言うのは見ていてもっとつらかった。

 

 

去年の6月、私が悲しくて悲しくて仕方なくて泣いていた理由のひとつは「完璧な形のSTORYを二度と見られないこと」だった。2019年5月に発表されてからずっと楽しみにしていた。NEWSがこだわって作ってきたのも知っていた。2020年の年明け早々にわくわくしたメールで「ツアーやるよ!」なんて送ってきたくらい、NEWS本人たちも楽しみにしていたはずなのだ。

 

1人で泣きながら「どうしよう、どうしたい?」なんて考えていた。ボロ泣きしながらクローバーを聴いた。加藤さんの「僕らの手を握っていて、その温もりを忘れないで」が妙にすとんと自分の中に入ってきて、「ああ、NEWSと一緒にいたい」と思った。本当に救われた。

 

ただ、「NEWSやNEWSが作ってきたもの、NEWSの3人や周りの人たちのことを多かれ少なかれ傷つけた人を推していた私が、この期に及んでNEWSを、ましてやその中の誰かを好きだと言っていいのか?」という思いはあった。その人のことをずっと真っすぐに応援していた周りの子たちを見ていたから、なおさら。あとは少しだけ怖かった。

 

もともと3人みんな意味わかんないくらい大好きだったし、もう「自担」を設けずに箱推しでいけばいいのではないかと1~2週間くらいは思った。思ってた。本当です。無理でした。本当に笑えるくらい無理でした。もともと狂ったように好きだったのに、なんで1回「箱推し」で耐えようと思った?

この辺りの詳細な話は以前したので割愛するけれど、私はグループ全員を好きになれないと特定の誰かも全力で推せないのと同時に、純粋な「箱推し」というのも無理な人間なんだなと痛感した。小山くんに甘えたくなっちゃったし甘やかされたくなっちゃった。*1

 

 

2020年末、大掃除の合間に私はKちゃんNEWSにメールを送っていた。

 

小山くんこんばんは。

毎週楽しくラジオを聴いています。

 

年末に大掃除をしていたところ、11年前の雑誌が出てきました。

その中で小山くんが「可愛いなと思う告白は?」という質問に対して「『好きすぎてムリ』なんて言われたら好きになっちゃうよ」と答えていました。

11年経った今、小山くんが可愛いなと思う告白はどんなものですか?

 

ちなみに私は小山くんのこと好きすぎて無理って毎日言っています。

今日も好きです。明日からもきっと好きです。

小山くんのこと好きすぎて毎日楽しいです。

ありがとうございます。

結構真面目なメールも送っているにもかかわらず、まさかの私のTwitterを音読したかのようなメールを読まれるという珍事。*2穴があったら入りたい。

 

この時、私は無意識に「明日からも"きっと"好き」と書いていた。ここを読んだとき、小山くんは「"きっと"なの?」と言っていた。ハッとした。傷ついたとか悲しかったとか、そういう感情では断じてないのだけれど、「私、なんで"きっと"って書いたんだろう?」としばらく考えていた。

 

去年の5月、自分だけ時を止められたような感覚だった。3人に「置いて行かないで」って思っていた。NEWSについて行きたいという気持ちは6月から明確にあった。それでも何度も何度も急に怖くなる時があって、立ち止まりそうになった。WORDISTAの円盤が発売された時とかもなんだけど、その度に「分かってるよ」って振り返って待っていてくれるような、その優しさにどれだけ救われたか分からない。

 

私は基本的に人の気持ちは変わっていくもので、「今この時点では私はこう思っているけれど、何らかの事情で明日にはその気持ちは変わっているかもしれない」などと考えている。多分、誰よりも永遠を信じたいくせに、永遠を信じられないんだと思う。その結果が「きっと」だった。本当に自分のことを面倒くさい人間だと思う。

 

また、「私の好きなNEWSがもうこの世になかったらどうしよう」とも少し思っていた。3人のこと大好きだけれど、3人を生で見た時に自分の中にどんな感情が起こるのか、まったく想像できなかった。「好きでいたい人たちをもし好きでいられなかったら?」と思うと怖かった。

 

 

6月に泣きはらしながら諦めた「完璧なSTORYを見たかった」という望みを、NEWSの3人が「本来の形に近いものを」と届けてくれることになった。ひとつの作品を諦めるのは本当に悲しかったから、その気持ちだけでも嬉しかった。

 

本来の形は知らないけれど、オープニングで確信した。

 

「4人の男がいた」

 

お~~~~~~~い!!!!!!!NEWS天才か~~~~~~~~~~!!!!!!!!!!!!!

 

見れた。完全に私が見たかったもの見れた。ヤッターーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!NEWS優勝!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!

 

この形が嫌だと思う人もいるとは思う。4人ではなくすべて3人の物語に上書きするという手もあったと思う。色んな手段があったと思う。それでも多分、どの手段を取っても誰かは納得しないんだと思う。

ただ、「作品として完璧なものを見たかった」と思っていた私にとって、「3人で本来の形に限りなく近いものを見せる」というのは1番いい形だった。作品作りに対する解釈の一致。MCによると、セットリストもソロが1曲抜けただけとのこと。NEWS、最高です。天才。

 

 

「テゴシ」が主語だったと思われるストーリーの主語は「男」になっていた。皮肉かな、主語が「男」になると、よりフィクション性が高まって聞こえて、ひとつの童話を聞いているようだった。

 

別に未練があるわけではないのだけれど、STORYに関してはどうしても「手越担だった」という部分は完全に拭い去った状態で参戦できないだろうなと思っていた。どんな衣装を着るはずだったんだろう。どんな文字を書いていたんだろう。君は最後にどんな夢を語っていたんだろう。ふとした時にそんなことが頭をよぎることがあった。でも、裏を返せば、きっと私はSTORYが終わったら完全に手越担でなくなるんだとも思っていた。

ウェディングケーキに炎を灯した後、ステージの上でピンクの光が明滅しながら消えていくのを見ながら、自分の中にわずかばかり残っていた色々な感情が一緒に浄化されて、過去になっていくような感覚があった。実際、どういうわけか、クローバーで「もしこの場にいたら」とどれだけ想像しようとしても、もう歌ってる姿も声もあんなに見慣れていたはずの文字も浮かばなくて、「ああ、もう私の中にいないんだ」と痛感した。

 

私はアイドルの虚構性や完璧に作られた夢・虚構の世界が大好きだ。あのストーリーの最後は書き換えられたものだと思うのだけれど、NEWSが作ったSTORYの世界での「地図の欠片をもらった男は、その欠片を『3人にもう戻らないと伝えて』と鳥に託した」という終わり方、綺麗だなと思った。動物たちに出会ったその世界で、男は何を見たんだろう。現実は私たちが見えているところと見えていないところと色々あると思うけれど、STORYの世界はそれでいいんだと思う。

 

虚構や夢って、もしかすると現実と比べてすごく脆いものなのかもしれない。それでも、その現実世界で辛いことや悲しいことがあった時に、それを乗り越えるために必要なものだと思う。

「辛い時、ここに来たら楽しいことがある」と繰り返し伝えてくれる増田くん。

「俺の夢はみんなの夢であり続けること」と言ったシゲちゃん。

NEWSを「未来もみんなの居場所」だと歌った小山くん。

 

STORYで3人を見た時、私は自分がどういう感情になるのか分からなかった。怖かった。でも、そんな心配まったくいらなかった。

ステージの上に立つ3人は本当にかっこよかった。「4人で歌うことを想定して作られた楽曲を3人で歌う」というのは、「弦楽四重奏をヴァイオリンなしでやれ」と言われているようなものだと思う。そんなの、簡単に出来ることじゃない。それでも、3人で魅せてくれたSTORYは本当にかっこよかった。一体どれだけ裏で努力したのだろう。私の大好きなNEWSを守ってくれて、私の大好きなNEWSが作るステージの上にい続けてくれてありがとう。

 

もう、推しとかそういう概念を通り越して、私はNEWSという作品そのものを愛しているし、率直にずっとここにいたいと思う。NEWSが作る景色が私はやっぱり世界一好きで、この先も一緒にその景色を見たい。誰かの代わりでも何でもなく、どうしたって私はNEWSがいい。やっぱり私は、舞台の上で戦う人が好きだ。大好きで大好きで仕方ない。STORYを通してより強くそう思った。

 

 

今のTwitterアカウントを作って1年。

「絶対に誰かの代わりみたいな形で誰かを好きになりたくない」、「アイドルに過度に依存する精神性を変えられないならNEWSを好きだと言いたくない」というのが、6月に「NEWSと一緒にいたい」と思ったときに自分に課した課題だった。

「NEWSを好きでいたいから変わりたい」と思った。私、少しは変われたかな。変われているといいな。

 

1年前、真っ暗闇の中でもう二度と笑えないんじゃないか、どうやって生きればいいのかと思っていた私に何かを伝えられるなら、「今すっごく幸せだよ、大丈夫だよ、また笑えるよ、まだ制限はあるけれど未来は明るいよ」と伝えたいと思う。

 

 

地元で迎えたオーラス、参戦出来て本当に本当によかった。ひとつだけ言うなら、コロナのせいで小学校の頃からの親友が来られなくなったことだけが悔しかったな。でも配信終わりにLINE来ていて、次は絶対行こう、コロナ絶対滅ぼそうと誓ったので、コロナ、お前覚えとけよ。どれだけ謝ってもお前だけは許さないからな。

 

NEWS LIVE TOUR 2020 STORY、完走おめでとうございます。

 

明日からもNEWSのことず~~~~~~~っと大好き!!!

 

 

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*1:なお、現在はものすごく同担大好きです。

*2:2021年1月20日放送分