パストラーレ

夢の世に かつ微睡みて 夢をまた 語る夢も それがまにまに

うき世になにか久しかるべき

2020年のこと、書こうかどうか迷ったけれど、やっぱり全部置いていきたいから書くことにした。

xxxsky.hatenablog.com

6月にこの記事を書いて、当時のTwitterアカウントをログアウトした。


あの時は、本当にNEWSも手越さんも応援する気だった。記事に書かれているのは間違いなく、当時の私が思っていたことだ。

 

結論から言うと、私は今の手越さんのことをほとんど知らない。ここに至るまでのこと、自己満足だけれど書き留めておこうと思う。誰かの賛同を得たいわけでも、誰かを非難したいわけでもないけれど、自分の感情を言語化しておきたいから。


7月は、ちゃんとTwitterも見ていたし、YouTubeもそれなりに見ていた。でもやっぱり、どこかで自分の中に違和感があった。「本当にこの人について行っていいのか?」と考えた時、私は素直に首を縦に振れなかった。

 

どうしてこうなったのか、分からないなりに初めは応援しようとしていた。一緒に歩くなら、どんな荒地だろうが荒天だろうが、ずっと楽しいだろうと思っていた。きっと、その時は分岐点で違う道に行っていたことに気づいていなくて、歩いていくにつれ、どんどん自分との価値観の相違や認識のズレを感じるようになって、最終的に「もうダメなんだろうな」と思った。どんどん開いていく距離はもう縮まることはなくて、縮めようとするのであれば、それは私が私を曲げる必要があった。でも絶対に曲げられない部分が多かった。私が私でいようとする限り、もうこの人を応援することはできないとはっきり思った。


6月19日に全部無くなって、否が応でも徹底的に自分と向き合わないといけなくなった。自分の感情、価値観、大切にしたいもの、好きなもの。ゼロの状態からひとつずつ拾ったり、しまったものを引き出してみたり、落としてきたものを取りに戻ったり。そうやって本当に自分にとって必要なものを選んでいった時、そこに手越さんはいなかった。入れることが出来なかった。入れたらきっと、私が大切にしたいものたちを全て手放さないといけなかったから。

 

手越さんについていくという選択は自分が破綻する感じがして、また共依存に陥って自分が死んでいく気がした。私が変わらないと意味がない。私の意思や価値観を壊して手越さんに合わせていったら、本当に自分が消える。ちゃんと自分で自分は幸せにしないといけない。他人の問題まで自分の問題として取り込んで苦しむ癖がある分、多分これは、手越さんから手を離さないと手越さんの感情に飲まれて自分が死ぬと思った。

 

手越さんが手越さんとしていて、私が私でいる以上、どうやっても相いれないところまで離れてしまったんだろう。他人を変えようなんて無理な話だから、一緒にいるには私が変わらないといけなかったのだけれど、私も絶対に変えたくないところばかりだった。それだけの話なんだと思う。


夏頃には自分の中で気持ちの整理はついていたのだけれど、WORDISTAの円盤が発売された時、初めはLove Storyだけがどうしても聴けなかった。まさかあのタイミングで泣くと思わなかった。なんで泣いてるんだろうってずっと考えてた。

 

本当に私はどうしようもない手越担だった。完全に自分の幸せが手越さんに依存したものになっていた。


NEVERLANDとかEPCOTIAの後とかENCOREの時とか毎回冷や冷やしてたし、ご飯食べられなくなったり寝られなくなったりまともに笑えなくなったりするくらいにはメンタルやられてた時もあった。私の特性として、相手の感情に当てられて影響されやすいっていうのもあると思う。例えば、自分に向けられたものじゃなくても、誰かが誰かに向けた言葉の刃物で自分まで抉られたりだとか、異様なまでにもらい泣きしてしまったりだとか。だから、手越さんが明らかに病んでる時は自分まで引きずり込まれてた。

 

そんな不安定な状態なのに、WORLDISTAを観て思うのは、やっぱりコンサートの時は100%幸せだったし、愛されていたということ。Love Storyは私の中でその象徴だった。ファンの前で柔らかく笑う笑顔がすごく好きだったし、その顔を見る度にすごく愛されてたと思うし、幸せだった。私の手越さんに対する「好き」の種類は、本当にどうしようもなく馬鹿だと思うけど、存在する言葉の中では「恋」が1番近いものだったと思う。普通だったら許せないことも、ありえないと思うことも、全部例外になってしまう存在だったから。


WORLDISTAを見たら終われるんだと思っていた。Love Storyでは泣いてしまったけれど、あの時点で既に「どこが好きだったんだっけな…」と記憶喪失を起こしていたので、そういう意味ではもしかしたら終わっていたのかもしれない。でも、ビューティフルを聴いた時、いないはずの声が聴こえる気になってしまう自分がいた。ドラマの初期で流れていた頃の記憶があるのもあるだろうけれど、この曲が作られた時は間違いなくNEWSは4人で、4人で歌うことを想定されて作られているから、どうしてもNEWSの曲を聴き続けてきた身としては「きっとここを歌っていたのだろう」と分かってしまう。あの時感じた怒りなのか悔しさなのか寂しさなのか分からない感情を自分の中で処理出来たら、今度こそ本当に終われるのだろうなと、そう思った。

 

前から少しずつ片付けてはいたけれど、年末休みに入って片っ端から大掃除をした。あの時のコンサートで着ていた服、何枚も買ったうちわ、沢山集めたオフショット、昔からため込んでいた雑誌。どう考えても楽しかった。少し歪んではいたけれど幸せだったし、大好きだった。

 

でも、何を見ても全部「だった」って過去形になる。もう自分の中ではっきりと線引きがされていて、NEWSの手越祐也は明確に過去のものとして認識している。過去の、幸せだった、大好きだった大切なもの。それらを思い出してしまう物たちを沢山手放した。すごくすっきりした。


私は過去に戻りたいとは一切思わないし、手越さんに戻ってきて欲しいと思ったこともない。むしろ、戻ってきても、もううちわを持ちたいとは思わない。NEWSの3人にジャニーズを辞めて合流して欲しいとも微塵も思わない。そんなことを望むのは、全部めちゃくちゃだと思ってる。NEWSは3人で、今の私が好きなNEWSは3人。それだけが事実。私はもしかしたら、とても薄情なのかもしれない。

 

4人じゃないとできないことはあったと思うけれど、4人ではできないこともあったと思う。むしろ3人になったからこそできることもきっとたくさんあると思う。

 

チンチャうまっかやカナリヤは3人のNEWSが歌うことを想定されて作られた曲だ。紛うことなき3人のNEWSの歌で、そこにいない人が歌うことは想定されて作られていないから、その人の声を探すことはない。


もう手越さんのうちわは持たないし、自ら情報を得ようとすることも、現場に行こうと、必死に会いに行こうとすることもないんだろうけど、でもきっとずっと嫌いにはなれないんだろうなぁと思う。例えば地の果てまで落ちるような、世界中が敵になるようなことがあって、闇に飲まれそうになったとして、その時に手を伸ばされたら振り払えないなと思う。というか、そもそもそんなことになって欲しくはない。

 

私は未練とか後悔なんて本当に無くて、過去に戻りたいとか、あの時こうしてればよかったとか、そんなの思ったことも無い。なんとなく、手越さんはずっとNEWSにいてくれるわけじゃないって分かってて、突然終わることだってあると思っていた。だから、いつ終わっても後悔しないようにしようと追いかけてた。それで余計にとんでもない依存状態になってたんだろうけれど。

 

今年中に何か書いて終わろうと思っていたらこのタイミングになってしまった。
でもこれで、自分の中ではちゃんと終われると思う。

 

今は手越さんの全てのSNSが目に入らない状態になっているし、名前自体も少し申し訳ないなと思いながらもミュート設定している。本当に、私は今手越さんが何をしているか知らない。それでいい。私にとってそれが最善の選択だっただけのことだから。

 

長い間ありがとう。大好きだったよ。ずっとついて行けなくて本当にごめんなさい。どうか幸せでいてね。