パストラーレ

夢の世に かつ微睡みて 夢をまた 語る夢も それがまにまに

ミュージカル『ハウ・トゥー・サクシード』を観劇してきました。

はじめに

タイトルのとおり、ミュージカル『ハウ・トゥー・サクシード』を観劇させていただきました。私はNEWSのオタクなので、最初のきっかけこそ「増田さんが出る」ということでしたが、にわかとはいえミュージカルは好きですし、アメリカをはじめとした欧米史にズブズブの学生時代を送っていたので、観る前から絶対に好きな作品なんだろうとわくわくしていました。案の定、というか予想以上に楽しむことができました。

1 『ハウ・トゥー・サクシード』とアメリカについて

本作『ハウ・トゥー・サクシード』は、 作家シェパード・ミードがアメリカのビジネス社会を風刺した本『How to Succeed in Business Without Really Trying(努力しないで出世する方法)』を基に製作された、1961年初演のブロードウェイ・ミュージカルです。

1960年代のアメリカを舞台に、増田さんの演じるフィンチが「努力しないで出世する方法」を手引きにし、ビルの窓ふきからあれよあれよという間に大企業でトップに上り詰めていく…というのが大筋の物語。フィンチにひとめぼれをしたローズマリーとの恋、身内のコネを全力で使って出世を企むバドとの応酬、ヘディ・ラ・ルーのハニートラップなど色々なことが展開されつつも、フィンチは順調に出世をしていきます。…が、テレビ番組の企画で重大なアクシデントを起こしてしまい、責任問題に発展してしまいます。責任を取り、会社を辞めてビルの窓ふきに戻ろうとするフィンチですが、持ち前の機転と運のよさでピンチを乗り越え、ハッピーエンドで幕を閉めます。

コメディらしく、終始ハッピーな雰囲気で作品は進んでいきますが、「A Secretary Is Not A Toy(秘書はオモチャじゃない)」で見られるように、セクシュアルハラスメントパワーハラスメントをジョークにし、皮肉っている表現もあります。

基になった『How to Succeed in Business Without Really Trying』が発表された1950年代や、ミュージカルが初演された1960年代初頭のアメリカでは、若者が既成の価値観・文化に反発するようになりました。この流れは1960年代後半以降になるとさらに広がりを見せていきます。いわゆる「カウンター・カルチャー(対抗文化)」と呼ばれるものです。若者が反発した価値観の中には、セクシュアリティや女性の権利、権威主義といったものも含まれていました。

そんな時代背景の中で作られたことを踏まえると、「秘書はオモチャじゃない」などの表現も、そのような既成の価値観に対する、ユーモアたっぷりな反抗のひとつだったのかもしれないと感じました。

もうひとつこの時代の作品らしいと思ったのが、全て順調に進んでいたはずのフィンチが失敗を犯してしまったテレビのシーンです。第二次世界大戦後、アメリカでは娯楽と情報の源となるテレビが登場しました。1953年には全世帯の2/3にまで普及していたといいます。アメリカを代表するエンターテイナーであるウォルト・ディズニーも、1955年に開園したカリフォルニア州アナハイムのディズニーランド建設のための資金を、テレビを利用して集めました。

20世紀のアメリカは、メディアの力を借りて宣伝をしたい企業と、企業からの広告収入に頼るメディアの相互依存によって経済発展が進んできました。企業とメディアは、互いに自立した状態でなければ、事実を作為的に変えたり、捏造したりすることに繋がります。いわゆる「やらせ」と言われるものですが、アメリカにおける「やらせ」の有名な例がクイズ番組「21」です。

1950年代、アメリカでは高額の賞金を売り物にした番組が乱立していました。そのひとつであった「21」は1956年から1958年に放送されていましたが、このクイズ番組に出演し、連勝していた回答者の風貌や品格が望ましくないと感じたスポンサー会社がプロデューサーに苦情を入れたことが事の発端でした。プロデューサーは回答者にわざと間違えるようにもちかけ、回答者は悩みながらもその申し出を呑み、他の回答者が彼と接戦の末勝利するという劇的な演出をしました。しかしこの「やらせ」は白日の下にさらされ、「21」以外の高額クイズ番組もほとんどすべてが放送休止となりました。*1

クイズ番組とは若干毛色が異なるものの、謎解きの要素を含んだお宝探しを題材としたテレビ番組であること、高額の賞金よりもインパクトのある商品として自社の株を宝物に設定したこと、フィンチが何度も「やらせじゃない」と言っていたこと、結果としてこの出来事でフィンチが危機的状況に陥る辺りは、この時代のアメリカ大衆文化を象徴しているように思ったと同時に、このスキャンダルのことも意識されていたのかな、と思いました。

2 エンターテインメントの必要性

2020年2月26日。あの日からエンターテインメントの世界は大きく変わってしまいました。リハーサルなど準備を進めていた最中、開演数時間前に急遽コンサートが中止となったアーティストもいれば、直近のコンサートを延期、中止としたアーティストも多くいました。テーマパークは軒並み閉園、映画は次々と公開が延期になり、演劇やミュージカルも休演が相次ぎました。

始めこそ「3月半ばには…」「4月になれば…」などと思っていましたが、今思えばそんな状況ではありませんでした。7月、8月と、段階的に緩和されてきた部分はありましたが、こんなにも無事に幕が上がるのを切に祈ることになるなんて思ってもみませんでした。

今は少し違う仕事をしていますが、私は文化芸術に関わる仕事をしていました。研修を受けに行くことももちろんあったのですが、その研修で聞いた中で、今でも忘れられない話がひとつあります。それは「文化芸術は生きていく上で必ずしも必要ではない。だから有事の際には真っ先に切られることが多い。でも、最低限の衣食住を確保していればいいのか。確かに生きていけるだろうが、果たしてそれは『人間らしい』と言えるのか」という話です。私は、この文化芸術にはポップカルチャーやエンターテインメントなど、幅広いものが含まれると解しています。

提供する側としても享受する側としても、「有事の際に真っ先に切られる」というのを、こんな形で痛感することになるとは思いませんでした。今は享受するのみの立場になりましたが、「文化がなくても生きられるけど生きられない」というのを、2月末からの数か月で痛いほど感じました。

「こんな時にコンサート/演劇/ミュージカルなんて…」という意見を持つ人は少なからずいるのだろうと思います。それはそれで間違っていないと思うので、否定はしません。でも、立場や従事した期間は違えど、文化芸術/エンターテインメントが持つ力を愚直に信じて提供していた身として、今このタイミングでこのミュージカルを完走する意味というのはものすごく大きいと思っています。

私は10月3日の大阪公演を観劇しました。7月くらいから映画館や劇団四季のミュージカルにはちょこちょこ行っていたので、最近は「1席おきに座る」という感覚が染みついていました。でもこの日は、隣に人がいました。当たり前だったはずなのに、当たり前じゃなくなっていたことに気づかされたと同時に、まだ決して油断なんてしてはいけないし、個人個人が万全の対策を続けていかないといけないことは大前提にあるけれど、それでも人が埋まった劇場の景色を見て、少しずつ前に進んでいる感じがして、胸がじんとなりました。きっと東京の景色を見ていた演者の方は、舞台の上からこの客席を見て、私たち以上に思うことがあったんだろうなと思います。

3 増田さんとエンターテインメント

ハウ・トゥー・サクシード』自体は、今までに日本国内でも何度か上演されています。ただ、私は過去の作品をなにひとつ見られていないので、今回の作品しか知らないNEWSのオタクとしての話をします。

とってもキュートでチャーミングでした

この作品が持つコミカルな雰囲気と、「まっすー」の持つ柔らかくてキュートな印象が混ざると、あんなに可愛らしいフィンチになるんだろうなぁと思いました。増田さんらしいフィンチで、すごく愛らしかった。…かと思いきや、歌は上手いし踊りもめちゃくちゃ踊れるし、なんなん?ズルやん。(?)

…っていうオタク全開な感想もしっかり抱きつつ。笑

私は今まであまり増田さんについて話すことが多くなかったと思うのですが、増田さんのコンサートを始めとしたエンターテインメントにかける想いと熱量がすごく好きです。そういったことを全て言葉にして表現しないのを、エンターテインメントを提供する側としての美徳だと考えているようなところも含めて。

増田さんは舞台上の表現で想いや熱量を伝えてくれる人だと思っています。増田さんにとって今回のミュージカルにかける想いが並々ならぬものだったことは、ただのファンのひとりでしかないけれど、少なからず受け取っているつもりです。

月並みな表現しかできない自分に辟易してしまいますが、このような中で絶対に完走するという増田さんの熱量は、エンターテインメントに携わる人間の姿勢として本当にかっこいいと思いました。本当にかっこよかったなぁ。(2回言う)

あと、ダンスのシーンを観ていて感じたのが、王道のブロードウェイミュージカルらしい演出だったということです。今回の作品で振付・演出を担っていたのが、ダニエル・ラドクリフ版の同作にも携わっていた振付、演出家のクリス・ベイリーさんなので、当たり前といえば当たり前なのかもしれませんが、観ていて心が高ぶるものがありました。というのも、私は物心つく前からディズニーにズブズブで育てられてきて、今ではショーやパレードが大好きなオタクだからです。ビッグバンドビートやハロー・ニューヨーク辺りが好きなディズニーファンの人は、きっとアメリカの王道ミュージカルも好きだと勝手に思ってるんですよね…。

増田さんが2020年8月21日に放送された「アナザースカイ」で「もう一度行きたい場所」として挙げたのがラスベガスでした。母、姉、姉の友人が勝手に履歴書を送り、「どうせサッカーの試合にも出れないんだからオーディションに行け」と言われてしぶしぶ行ったのが増田さんのジャニーズ人生の始まりでしたが、その後初めて見た東京ドームのコンサートの景色に感動したという話を何度もしています。また、この時のアナザースカイでは、ジャニーさんに連れて行ってもらったラスベガスのショーに魅せられたという話をしていました。

あのアナザースカイを見た時、私はウォルト・ディズニージャニー喜多川さんのことをふと思い出しました。幼少期のウォルト・ディズニーは、サーカスやチャップリンに魅せられてエンターテインメントに興味を持つようになりました。また、ジャニー喜多川さんも1931年にカリフォルニア州ロサンゼルスで生まれ、一時は日本に帰国していたものの、高校・大学時代はロスで過ごし、現地のミュージカルやショーに触れていたと言います。そしてブロードウェイに負けない、世界に認められる日本のショービジネスを作ろうと、ジャニーズ事務所を設立し、多くの作品をプロデュースしてきました。

私が好きなアイドル、エンターテイナー、プロデューサー。三者に共通していたのが「若い頃にアメリカのエンターテインメントに魅せられ、自らもそれを提供する立場になったこと」。この共通項は偶然なのかもしれませんが、自らがエンターテインメントに魅せられた経験があるからこそ、自分自身が作るものにも徹底的にこだわり続けることが出来るのだろうし、享受する私達も感動することが出来るのかもしれないと思いました。

そんな増田さんがアメリカのブロードウェイ・ミュージカルである『ハウ・トゥー・サクシード』という作品に出演したというのも、なんだか不思議な巡り合わせだなと感じます。とっても素敵な作品でした。

おわりに

何よりもまず、無事に終えることができてよかったです。お疲れさまでした!

色んなものが無くなってしまった今、このミュージカルに行けるというのが結構心の支えになっていた部分がありました。

作品自体も明るくて、観終わった時に多幸感に溢れた気持ちになれて、まさにこの時代に必要なものだったなと思います。終わってからもず~~~~~~~っと拍手し続けていたいくらいでした。

ミュージカル『ハウ・トゥー・サクシード』、全公演完走おめでとうございました!!!

 

 

<参考>

古矢旬編(2006)『史料で読む アメリカ文化史5 アメリカ的価値観の変容 1960年代ー20世紀末』東京大学出版会

ニール・ゲイブラー(2007)『創造の狂気 ウォルト・ディズニー』(中谷和男訳)ダイヤモンド社

笹田直人・野田研一・山里勝己編(2013)『世界文化シリーズ③ アメリカ文化 55のキーワード』ミネルヴァ書房

*1:ちなみにこのスキャンダルを基に、1994年に『クイズ・ショウ』という映画が製作・公開されています。