パストラーレ

夢の世に かつ微睡みて 夢をまた 語る夢も それがまにまに

嵐生まれ二宮育ちの京本担がTANGのジャパンプレミアに参加した話

2022年7月14日、タイトルのとおりTANGのジャパンプレミアに参加してきました。

 

今では(そもそも現場がないというのもありますが)ゆるりとお茶の間で二宮さんを追ったり追わなかったりマイペースに応援しているオタクですが、映画作品は公開される度に劇場に足を運び、ものによっては複数回劇場で作品を楽しんでいます。

そのため、TANGも最初の情報解禁から「二宮さんの映画がまた観られる!」と楽しみにしていました。映画館でてんとう虫を追いかけるタングと二宮さんの映像を見た瞬間からタングの可愛さにメロメロになったのをよく覚えています。

 

TANGの原作はイギリスの作家、デボラ・インストールさんによる「ロボット・イン・ザ・ガーデン」という小説で、国際映画祭で「映画化したい一冊」にも選ばれています。

また、2020年には劇団四季によってオリジナルミュージカルとして舞台化されており、2022年7月現在も全国公演中です。

TANGを楽しみにするあまり、京都公演にちゃっかり行きました。

 

この京都公演観劇から4週間弱経った頃、TANGのキャストが解禁されました。

朝寝ぼけまなこでTwitterを開き、「SixTONES 京本大我」の文字を見て、文字通り飛び起きました。

浮かれきったこの日以来、私のアイコンは京都劇場で撮ったタングになっています。

 

~~~~~~

 

原作ではイギリスを出発地点としてアメリカ、日本…と旅をしますが、映画版のTANGは主に日本を舞台としています。現代の日本ではなく、少し先の、アンドロイドが人間と共存している近未来の世界です。

主人公の健はあることがきっかけで、仕事もせず、家でゲームばかりして過ごしている「人生に迷うダメ男」。ある日、そんな健の前に現れたのが、いかにもな風貌をした「記憶をなくしたロボット」のタングでした。

「庭にロボットがいるからどうにかしてほしい」と妻の絵美にお願いされた健は、しぶしぶ庭にいるタングに声をかけますが、最初はぎこちない会話が交わされるだけ。タングをどうにか追い出そうとするも失敗し、挙句の果てには自らも家を追い出されてしまいます。しかしその後、「タングを最新モデルのアンドロイドと交換してもらえるかもしれない」という情報をもとに、健とタングの旅が始まります。

 

本作ですが、二宮さんは本当はもっと前にオファーをもらっていたとのこと。嵐の活動に専念したいタイミングなので、待っていただけるのであれば2020年より後にお邪魔したいと伝えたところ「こっちが勝手に待っているだけなんで、二宮さんは全然気にしないでください」と言われ、1年待ってもらったそうです。待ってもらった感謝があるからこそ、生半可な気持ちでは臨めないという想いがあったそう。*1

健はそんな二宮さんをイメージして原作の主人公像をアレンジされたもの。*2待っていただいたこと以外にも、二宮さんが感謝の念を覚えずにいられなかったことのひとつが「今まで自分が演じていない役柄を、オファーしていただいたこと」だそう。二宮さんの過去の出演作は、本人も述べているとおり、シビアな作品が多くあります。その中で、「家族揃って楽しめる」、「友だち同士で観に行ける」、「何の気なしにフラっと入ってみたら、明るい世界がそこにあった」というような作品に「あえて二宮でやってみたい」「1年待ってもいい」と仰っていただけたとのこと。*3

この温かい作品の主人公に二宮さんを選んでくださった上で、二宮さんをイメージして原作にアレンジを加えながら脚本を進めてくださったということがさらに嬉しく思いました。

 

私が試写会で本作を観て思ったのが、とにかくタングが可愛いということ。

金属でできた無機質な存在であるはずなのに、タングは人間の子どものように見えるのです。

自分の周りの世界をよく観察していて、好奇心旺盛で、気になるものを見つけてはそちらに走っていき、「これは何?」と尋ねる。大人にとっては取るに足らないものでも、「お宝」として大切にする。さらには、「人を思いやること」まで学習する。

ロボットなのに、人肌のぬくもりがあるような、温かくて愛らしい存在。

幼い子どものようなタングは、人生の答えを直接くれるわけではありません。でも、タングと触れ合う中で、自分を見つめなおしたり、忘れていたものを思い出したりして、一歩前に進むきっかけにはなる。

そんなタングに関するシーンで、私が1番好きなのがコーヒーのシーン。ネタバレになるかもしれないので深くは書きませんが、泣きました。

 

健が旅を始め、一番最初に出会うのが京本さんの林原信二です。

超が付くほどのナルシストということで、予告映像でも既に「見栄えがいいからかな…」というパワーワードを、ぐうの音も出ない眉目秀麗さで発しています。

このビジュアル、三木監督が撮影に入る前に「昔やっていた金髪具合がいい」と伝えたらこの色にしてきてくれたそう。*4きょもプリオ大好きなので、この裏話は嬉しかった。

 

ちなみに、京本さんは今回のTANGが単独での映画初出演となるのですが、SixTONESのメンバーにはずっと「きょもに映像に出てほしい」と言われていたらしく、すごく喜んでくれたとのこと。

他のメンバーも色々な形でスクリーンに挑戦している中で、自分もメンバーとしてそこに貢献できることが嬉しい、この作品をきっかけにSixTONESの名前を知ってもらえたり、グループに還元できればいい、と話す京本さんがすごく好きだなと思いました。*5

さらにはこの作品はこの世界にもっと飛び込んでいきたいという意欲に火をつけてくれたとも。*6試写会の時、いつか舞台挨拶の真ん中に立つ京本さん見たら泣いちゃうだろうな、という想像をして泣きそうになったので、そんな未来も楽しみにしています。

何はともあれ、林原さん、じわじわくすりとくる役どころですごくよかったので、ぜひ観てほしい。

 

 

そして試写会最後の二宮さんの挨拶。

youtu.be

映画というものは、世の中で色々な物事が起こる中で、色々立ち位置を変えながら、皆さんの拠り所になる時もあれば、疎ましがられる時とか『そんな暇ないよ』という時もあると思う。でもそれでいいと思っていて。僕らは変わらず良いものを作り続けて世の中に出していくことが仕事だと思っている。そんな中で、皆さんの生活の状況に沿う形でこの作品に出会ってくれたら嬉しいと思っているので、もしそういうタイミングが来たら、映画館でも観ていただければと思います。

二宮さんは、雑誌のインタビューでも似たような話をしていました。

映画は出来上がったらちゃんとそこにあるものなので逃げません。だからご覧になりたいタイミングで見ていただければうれしいです。映画館で見てほしいとかいろんな気持ちはあるんですけど、でも、自分が一番楽しめる環境でご覧いただかないと、作品の価値が分からなくなっちゃうから。デバイスは変わってくるかもしれませんが、本当に自分のタイミングで見ていただければうれしいですし、一番ありがたいことかなと思います。*7

このようなご時世だから、劇場に足を運ぶのは…という話もあれば、精神的・体力的に今は何かを楽しむことが難しい人もいる、という話でもあると思います。

でも、映画は出来上がったら形としてそこに残る。数か月後、数年後に「そういえばあの映画観たかったんだった」と見返すことも出来る。

すごくあたたかくて優しい作品だからこそ、より多くの人が一番楽しめる環境で、本作を楽しむことを願ってやみません。

 

この素敵な作品に、昔からずっと大好きな二宮さんと、同じく大好きな京本さんが携わっていること、ファンとしてもとても嬉しく思います。

 

公開まで2週間を切りました。

沢山の人と、この作品を共有できますように。

 

* * *

Twitterのレポ的なものまとめはこちら

2022/7/14 TANG ジャパンプレミア試写会 / Twitter

 

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peing.net

 

*1:「シアターカルチャーマガジン T.」2022 SUMMER NO.47、「キネマ旬報」2022年7月下旬号 No.1898

*2:「QLAP!」2022年8月号

*3:キネマ旬報」2022年7月下旬号 No.1898

*4:「QLAP!」2022年8月号

*5:「シアターカルチャーマガジン T.」2022 SUMMER NO.47

*6:AERA」2022年8月1日号 No.33

*7:「Cinema Cinema」2022年7月号 No.99

Something to Believe In

京本大我さんお誕生日おめでとうございます!!!!!!(数分遅刻)

 

ニュージーズとジャックへの巨大感情を抱え続けて爆発しそうだったので、ノープランに色々書こうと思ってたのを先延ばしにしたら今日になっちゃった。

結果的に沼落ちブログみたいな様相を呈しているけれど、書き残しておきたかったからそのまま上げます。

 

さて、いつから大我さんのこと知ってるかと聞かれると、まったく思い出せない。気づいたらもう知ってた、というのが正直なところ。でも存在を認識したきっかけは確実にNEWSだと思う。

FNSのエリザベート、増田さんと少クラで歌っていた夜星、たまたま見た少クラで「かっこよ?!これが噂の?!」と度肝を抜かれたJAPONICA STYLE、茜空でモニターに映った手書きの文字。そんなぼんやりとした断片的な記憶。

 

そんな中発表されたのがニュージーズだった。ディズニーブロードウェイミュージカル、アラン・メンケン楽曲、主演・京本大我アラン・メンケンで育ったDオタの私、これを見た瞬間に「え、絶対行きたい!!!!!!」と即ジュニア情報局に入っていた。オタク、行動力よ。

同時期に、FNS歌謡祭をBGM代わりにTVで流していた時のこと。確かDハロ仮装の作業をしていたので画面を見ていなかったのだが、TVから聴こえてきた「愛を感じて」を聴いて「待って誰この歌上手い人?!めっちゃ好きなんだけど?!」と思わず顔を上げた。京本大我さんでした。

のんびりゆるやかに追っていたはずなのに気づいたらこんなに好きになっていたわけだけど、起点を考えるとこの辺りかなぁ。ぼんやりしていたものがはっきりし始めた頃。

 

まぁ、即ジュニア情報局に入ってニュージーズのチケットを確保する行動力はあったくせに、なぜか沼に落ちるまでがめちゃくちゃ慎重だったので、申込み権利があったのにラフストとかトンパクとか申し込まなかったんだよね。もったいなさすぎる。今めちゃくちゃ後悔してる。というか、当時あまりSixTONESというグループについて詳しくなかったので二の足を踏んでしまったというのが事実。オタクあるある、「あの時ああしていれば」。

スノストデビューの時も15人並んだ看板見ながら「私、絶対京本大我さん好きだな…」とか思ってたし、SixTONESのFC入るかめちゃくちゃ悩んだ。はっきり覚えてる。で、この時の私は「ニュージーズ観てから決めよう」と思った。

 

その日は来なかった。

 

当時行く予定をしていた色々なコンサートが続々中止になり、舞浜が閉園になった2月末から3月。ニュージーズは5月だから行けると思っていた。思いたかった。

ゆるゆる追っていたつもりだったのに、結構ショックを受けていた自分に対して「すごい楽しみにしてたんだな…」と少し驚いた。その後有楽町とか日比谷辺り行く度に「ニュージーズ…私に返して…」と亡霊になっていた。(怖)

この亡霊っぷり。

あと、ここ2年くらい推しに色々あったので()、「私が京本さんのこと好きって言っていいんか…?」ってめっちゃくちゃ考えてたなぁ。2020年~2021年春のテーマは「誰かの代わりで誰かのこと好きになりたくない」だったので。(お察し)

「代わり」ってすごく中途半端だし失礼だなぁと思ってた。その人を通して他の誰かを見ているような、そんなの、その人にもその人のファンにも失礼だししたくなかった。から、そのつもりはないけど「本当に違う?」ってずっと考えてた。

「好きになりすぎない」というのも痛いほど身に染みたので、それもあって余計に変に距離を置こうとしていたなって思う。絶対好きなので。

 

そんなめんどくさい色んなものを抱えたオタク、結局SixTONESのFCに入会し、on eSTに参戦した。

「とんでもないアイドルいた…」

これ、私が友人に送ったLINE。

本人のパフォーマンスにただただ圧倒されたし目が離せなかった。「とんでもなく歌が上手くて防振で追いかけまわしたいアイドルいた!!!!!!」ってすごい嬉しくなった。歌もなんだけど、踊りも超綺麗で、帰りに「さぞかし運動神経がいいんだろうなぁ」と検索したら違くて「?!」となった。こう思い返してみると、この頃の私、まだ京本大我さんのこと、5%も分かってなかったな…この時点で沼の底だと思ってた…。笑

 

で、ニュージーズの亡霊を抱えたまま迎えた2021年夏。

ニュージーズの再演が決定して、うっきうきしてた8月頭。人生で初めて「心臓が跳ねる」とはこのことかと思った、CDTVのマスカラ。既に好きなはずなのに、あの日TVに映った眼鏡の京本大我さんを見て、心臓跳ね上がったし、その後動悸がすごかった。なんなら胸が痛かった。もう好きなのにこんなことある…?

「好きになりすぎない」ってセーブしてたところは確実にあったんだけど、この日、あの瞬間、「もう無理だ」って思った。ちゃんとこの「好き」に向き合おうって思った。覚悟ができた、のかな。

 

そこからやっと過去のあれこれを見たりラジオ聴き始めたりしたのだけれど、初めて聴いたラジオでさすまた持って大暴れしてて「?!??!」となった。え、何…?これは何…?(A.京本大我という現象)

 

そんなこんなで、ANNの京本ワールドがドツボにハマって抜け出せなくなり、パフォーマンスに魅了され、「一体この人は何?!」と追い続けた。追っても追っても分からなくて、ただただ楽しくて。あと顔がめっちゃ綺麗で可愛い。可愛い。

 

そして、ニュージーズ。

Dオタかつアラン・メンケン大好きなこともあって、とんでもなくハードルを上げて観に行った。京本大我さんはそのハードルを遥かに上回っていて、「これが舞台に立ち続けてきた人…!?」と感動した。舞台の上にいたのは紛れもなくジャック・ケリーだった。基本、京本さんのこと「綺麗」「可愛い」と思っているのに、ジャックがあまりにも「カッコイイ」だったのでどうしたらいいか分からなかった。(?)

ニュージーズに関しては他のキャストさんの熱量がすごいというのもあって、もう何から何まで大好きだったな。ずっと待っててよかった、信じてよかった。

この先も舞台に立つ京本さんを見続けたいと、そう思った。

 

ニュージー千穐楽、「SixTONESっていうグループにいるんですけど、」という前置きをして話をした大我さんを見て、雑誌のインタビューで「SixTONESをもっと大きくするために『ニュージーズ』を成功させたい」と話していたのを思い出した。この作品を通してSixTONESにたどり着いてもらうためにニュージーズを成功させる。他の雑誌を読んでいても感じた、SixTONESへの愛。ああ、好きだなと思った。

その後、Instagramを開いたらストーリーに上がっていた「きょも待ってるよ」の動画。胸が熱くなって、泣きそうになった。

もう、何かに永遠なんて夢見ないようにしていたし、好きになりすぎないようにって色んなものから距離を置いていたのに。

あの日、どうしても"6"という数字に、また夢を見たくなった。

 

コロナがなかったら、あの時ニュージーズを観ていたらどうなっていたんだろう。

たまにそう思うことがある。

でも、きっとこういう運命だったのだと思う。

好きになった時が人生において最良のタイミング。

 

今すごく楽しいよ、本当にありがとう。

 

色々なインタビューで「去年はついてなかったと思うことが多かった」と言っていた大我さんが「今年最高!」ときょも美に書いていたのが本当に嬉しかった。

27歳も最高な1年になりますように。

 

* * *

 

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Happily ever after-STORYの大好きなところを延々綴る

前回、STORYオーラス直後に湿度の高い文章を上げた。

 

turtletalk.hatenadiary.jp

 

結果として、STORY本編の好きだったところにほぼ触れられなかったため、今回はひたすらSTORYの好きだったところについて書いていこうと思う。イエス、自己満。とっても長い。

 

※照明や演出が大好きですが専門知識はないです。

※だいたいガイシの話ですが、たまに横アリ初日が混ざります。

※「ここはこうだったんだろうな~」くらいは考えますが、亡霊ではないです。

※全曲書いたらとんでもないことになりそうなので一部割愛してます。

 

オープニング

絵本のようなタッチのアニメーションとともに流れる"There were four men."のナレーション。英語のナレーションはTシャツに書かれたもの、日本語字幕はパンフレットに書かれたものと同じだった。各所で本人たちが触れているが、2019年末に増田さんから「グッズのTシャツにこんなメッセージを入れたい」という依頼を受けた加藤さんが、その増田さんの話を展開して書いたものがこのナレーションだ。「これはコンサートの演出にも使える」となり、生み出されたのがこのオープニングである。*1

何度も書いているが、私はNEWSのコンサートを作品として好んでいるし、その作品を作り出す人たちの熱量も含めて愛しているので、昨年6月頃は「完璧な形のSTORYはもう見られないのかもしれない」ということに深く悲しんでいた。コンサートでオープニングを見て、その悲しみが一瞬で吹き飛んだ。「これは私の見たかったSTORYだ」と、このオープニングで確信した。本来の形に限りなく近いものをと、この形で届けてくれた3人には感謝しかない。初日は泣くと思っていたのに、嬉しさが爆発してまったく泣かなかった。びっくり。

4人の男の衣装や手に持つ物は、4年前のNEVERLANDのオープニングで登場した4人の姿を想起させるものだった。彼らとは汽車に乗り、宇宙に旅をし、仮想空間でドラゴンに出会った。長い間NEWSに会えず、未知のウイルスに止められたような時が動き出した気がした。

STORY

降りてきた幕に映し出される映像と流れるSTORYの音楽、舞浜のキャッスルショーか?好きでしかなかった。

NEVERLANDの汽車の演出を初めて見た時、私はひどく感動したと同時に、「もうこれを超える感動はないのではないか」と少し怖くなった。しかし、翌年のEPCOTIAでの上からの登場に「?!??!」と度肝を抜かれ、WORLDISTAではI・ZA・NA・I・ZU・KIの水、さくらガールの大きな桜やFIGHTERS.COMのドラゴンなど様々な演出に心奪われた。

NEVERLANDの時に「もうこれ以上はないのでは」と思ったのは杞憂でしかなかった。NEWSはそれと同等、あるいはそれ以上の景色を毎回見せてくれた。もう今では「次はどんな景色が見られるだろう?」と、楽しみな気持ちしかない。

どんな登場なのだろう、とわくわくしていた。なんと、まさかの客席を通ってセンターステージに集まる演出。完全にその発想はなかった。他の出はけでも使うだろうから特に意味はないのだろうけれど、センターステージに登る時に3人が使った階段、使われなかったのも含めて4つあるんだなって思った。それぞれが別の扉から登場し、歩いてセンターステージに向かうという構図は、それぞれが別の旅をして集まってきたようにも見えた。

あのキラキラの電飾を他のアーティストの方のコンサートで見た時に、「NEWSが使うところ見てみたいな」と思ったことがあった。なので、STORYで使われているのを見た時にテンションが上がったのだけれど、その時想像していたよりも遥かに緻密な動きで作りこまれていて、「これだからNEWSのコンサートが好きなんだよ~!!!!!!」と思った。ちなみに色々なコンサート等に足を運んでいる増田さんいわく、こんなセットは見たことがないというものを作りたくて出来たものがSTORYのセットらしい。*2実際、本当に見たことがなかった。天才。

花道の方の電飾は文字が出ていることもあって、STORYの時は2番の「2003」「2020」に合わせてその数字が出ていた。そんな使い方も出来るんだ…すごい…。きっと見落としているところにも色んな仕掛けがあったんだろうな…。

最後に3人のもとにメンバーカラーの光が下りてくる感じも好きだった。

スーパースター

前奏で1人ずつ照明に照らされた時に、会場の壁にうつる影がかっこよくて好きだった。増田さんの影がたまらなくかっこよくて大好きです!!!ガイシはまるっこいのでプラネタリウムみたいな感じですごく綺麗に見えたけれど、会場によっては影が綺麗に見えなかったのかもしれない。

サビはユニゾンになっていたのだけれど、NEWS3人のユニゾンは夜明けというか、世界がどんどん明るく暖かくなる感じがして好きだなと思った。Endless Summerのサビのユニゾンでも同じことを思った気がする。

ラップの「この荒野にもくれよ答えを」でカメラに抜かれる増田さんで死んだ。もっとやって。

トップガン

サビの「ダンダダダンダン」の最後にぴょんって飛んで足揃える加藤シゲアキさんに気づいてしまって以降、シゲちゃんが可愛くて仕方なかった。あれ前からでしたか?!めっちゃ可愛かったんですけど!!!

個人的にこの時の加藤さんのズボンの形というのか、足首というのか、あの辺りの形が可愛くてツボだった。伝わって。(語彙力)

1番Aメロ「いま君を見据えてる僕と願う」の時に、手を銃の形にして投げちゅーしてくる小山さんのあざとさに心を射抜かれて以来、頭がぼーっとして上手く回りません。助けてください。一生手のひらの上で転がされたい。

SEVEN

ジュニアの衣装が天才的に可愛い。

横アリで「やっと会えたね」って笑った小山くんの顔、一生忘れないと思う。

コロナ禍になって以降、私にとって初めてのコンサートが横アリのNEWSだった。NEWSのコンサートはC&Rどころか、楽曲内にファンのパートまであるので、「声出さないのってどんな感じなんだろう…」と思っていた。ただ、通常であればC&Rをするであろうところはモニターにペンライトのイラストが表示されていて、「声出せない分、ペンライト振って!」とNEWSも盛り上げてくれて、すっごく楽しかった。NEWSのコンサート本当好き。好きっていう気持ちを込めて腕振ってたら、翌朝「テニスでもしたんか?」ってくらい筋肉痛だった。

最後にクローバーを作るところで毎回ふざける増田さんと誘導する小山さん(ママなの?保育園の先生なの?)、そして形状記憶で笑う加藤さん。ありがとう、いいNEWSです。

Perfect Lover

何もかもがずっと天才。小山さんのフェイスライン大好き芸人なのでずっと気が狂ってたし、一緒に入ってないオタクから「絶対慶ちゃんのこの角度好きなんだろうなって思った」などと言われる始末。バレてた。

増田さんの表情も踊りの感じもすごく好きだった。目が足りない。各メンバーに1セットずつと全体見る用の1セットで、少なくとも4セットは目が欲しい。NEWSの最高具合に対して人類の進化が明らかに追いついていない。悔しい。

U R not alone

いつもは全力で歌うけれど、声出せないのでめちゃくちゃ腕振った。そんなオタクたちの心の声を聴いているかのような3人の姿が大好きだった。

2番で場所移動するときに発生するシゲマス、コヤマスの絡みが可愛くて好き。加藤さんを追いかける増田さん、増田さんを呼ぶ小山さん。

Cメロ入る前までで全力を出し切ったかのような膝をついた体勢になって、オタクたちのペンライトの動きや表情を見ている増田さんが大好きだった。そこから入る「あの日つまづいて しゃがみこんでしまうほどの痛みさえ」の説得力よ…。増田さんが歌うと、厚い雲から土砂降りの雨が降っていたのに、その雲間から太陽の光が差し込んできて晴れていくような感覚になる。増田さんが歌う「生きろ」の落ちサビもだけれど、増田さんの歌声は薄暗いものが暖色の光で包まれていくイメージがある。私が勝手に増田さんに「救済」のようなイメージを見出しているからかもしれない。

スタンバイの時に流れる月の映像と夜道で聞こえてくるようなBGMから天才だった。知ってたけど、「増田さん歌うま…」って50000回くらい思った。

ただ音を外さないとかいう「上手い」ではなくて、増田さんは言葉を大切に歌っていて、聞き手に届けようとしているから素敵だなと思う。それ感じるのがフレーズの最後の音の置き方、切り方。恋知らとかリボンとかでも思ったのだけれど、最後の最後の言葉まで丁寧ですごく好き。照明の感じも相まって、すごく優しい空間だったな。

Narrative

加藤さんによる「書くこと」をテーマにしたソロ曲。

加藤さんは「書くことは苦しいけれど、書くなと言われることの方が苦しくなっている。どこへ行っても『これは物語になる』という脳になっている。物語を作ることがやめられなくなっている」と話していた。*3

それを体現したかのようなソロ曲だったように思う。サビの左手でペンを持って文字を書くような振りは、「書くことをやめられない」ように見えたし、まるで物語に取り付かれたようだった。(褒めてます)

物語に取り付かれ、最後に加藤さんが落ちていくのを見た時、私の脳裏によぎったのは身投げした太宰治だった。短絡的すぎるかなぁ、なんて思いつつ。

チャンカパーナ

2番をにゅすばの7人が歌うというびっくり演出。新藤くんを勝手に推しているので、新藤くんが歌った瞬間にめちゃくちゃ喜んだ。(?)

「うやうやしく服を脱ぎ」で、思いっきり服まくり上げてた小山さんが大好きでした。狙ってやってるの分かってるけど、ちょろオタなのですぐ釣られる。ちなみにオーラスで、そんな小山さんを見た私のブロックの皆様が「?!」とざわついていて面白かった。

最後の横並びになるところ、いつも森永くんのこと見つめてる小山くんを私はにこにこ見つめていた。森永くん可愛いもんね、分かる。

最後の「チャンカパーナロングトーン伸ばし芸、気に入っちゃうコヤマスがとっても好き。

名古屋日曜昼だったと思うのだけれど、「ジュニア歌っちゃってんのよ」のコーナーで「うやうやしく服を脱ぎ」に合わせてズボンまで脱ぎ始める野澤くんと増田くん、面白すぎて笑い死ぬかと思った。あと毎回西村くんは面白い。

オーラスではるはるの卒業発表で涙目になっちゃったし、それ聞いてめちゃくちゃ泣いちゃう森永くんにもらい泣きしかけてしまった。にゅすばはいいぞ。

君の言葉に笑みを

くるくる回るステージにくっついて座って歌うNEWSが好きなの、絶対本人たちにバレてる。小山さんパートでニコニコしながらカメラ探しながら入り込む増田さん可愛かったし、加藤さんパートでニコニコでカメラに入り込もうとするコヤマスも可愛かった。

2番の「見つけた流れ星」で客席に流れ星流れる演出、可愛くてロマンチックで素敵。

曲終わりに増田さんがアドリブ(?)で夢を話すところ、名古屋土曜のMCで「大喜利?」「こんな夢は嫌だ?」「配信はちゃんと考えてきてよ!」などと話していたのに、オーラスに「シゲとこやまとずっと一緒に歌っていたい」と話す増田さんで卒倒した。NEWSしか勝たん。

STAY WITH ME

揃いも揃って衣装が天才。増田さんの蝶ネクタイ可愛いし加藤さんトレンチコート似合いすぎ問題だし小山くんは足首ガン見しちゃった。

なんといっても小山くんの「割と僕はなんでもこなせる器用なはずなんだけどさ 君の前じゃきっと不器用な奴だね」が好きすぎて目眩した…小山くんのファルセット…とてつもなく好きです…もっとやって…天才…ここ歌ってくれてありがとうすぎ…。

何度でも

大画面に流れる映像、名古屋の民には増田さんが東京ドームなことしか分からなかったので、コヤシゲどこか分かる人いたら教えてください。(他力本願)途中で映ったカバンにNEVERLANDの鍵とカイ・コタ・ボンセンのキーホルダー付いてるのは見つけたのだけど、WORLDISTAやSTORYのアイテムもあったのだろうか…気になる。

サビの指のカウントが手話だなぁ、なんて思って見てた。

STAY ALIVE

供給過多で殺されるかと思った。

情緒がとち狂っている。落ち着いてください。

大きめ白シャツでサングラスかけてきた時点で頭抱えたのに、サビで猫みたいな可愛い振りし始めて窒息するかと思った。「けいにゃんダンス」?自分から発案したの?は?天才なんですが。*4

白シャツ破ってるのもだし、途中でボタン外すのもだし、サングラス外してカメラに投げチューするのもだし、声出せないの苦行すぎん?声出す代わりにペンライト振ってるもんだから、本当に叩き割るところだった。助けてほしい。全部狙ってやってるの分かってるのにホイホイ釣られるから、もうオタクのこと一生手のひらの上で転がしてほしい。あざとくて最高です。

映像

犬と猫の結婚式の話。初見で「結婚式→ここでプロポーズだったんだろうな」って思った。ここでWhite Love Storyとかも一緒にセトリ落ちしてたらショック死するところだったけれど、名古屋のMCによるとソロ曲1個なくなっただけとのことなので死は免れた。ピンクに明滅するケーキを模した電飾、綺麗だったな。ここは前の文章で色々書いたのでこの辺で。

鳥が持ってきた地図の欠片をはめようとした時に降ってきた雨に合わせて光る電飾、天才。ここからずっと天才の時間。

Dragonism

サングラスの増田さん、ビジュアルだけでも強いのに、踊り方とか動きが好きすぎた。サビで下から照明当たる時に、幕に影がうつる感じが好きだったし、何といってもドラゴンが飛んだ軌跡に合わせて黄色に光る電飾。天才。最後にドラゴンが吹いた火に合わせて赤く光る電飾。天才オブ天才。(語彙力)

なんかもう全人類見てほしい。NEWSのコンサート天才。

夜よ踊れ

前奏で「ここでこれ歌うの~~~~~?!??!?!」って引っくり返るかと思った。「愛に浸る者たちには窮屈すぎる摩天楼さ だるいジャズの繰り返しで踊るBlue Monday」←天才。小山くんのファルセットが本当に好きなんだなって思った。好き。

増田さんがジュニアと一緒に色々踊っているのも好きで、本当に目が足りなかった。夜よ踊れ、いつも足りてない。サビの「秘密は守りません」で舌ペロしてた激ヤバ増田さんを名古屋で見た気がするのだけれど、ヤバすぎてしばらく記憶失った。

増田さんの「微笑みのマリアに果てしない焦燥 聖母なんかいやしない」がそもそも天才なんだけど、花道上の電飾が歌詞に合わせて「MARIA」とか光ってたのすごかった。全部見切れなかったのだけれど、歌詞中の英単語を拾って光っていたような気がする…多分。目が足りていないので違ったらごめん。英単語といえば、「Aim at the beast!」のビーストに合わせて加藤さんがビーストしてるの可愛かった。

FIGHTERS.COM

前奏で引っくり返るかと思ったその2。NEWSほんと天才なんよ…。

シンメ大好きオタクなので、コヤシゲの背中合わせはWORLDISTAの時から防振でガン見してたし、今回もガン見した。シンメ、最高です。

こういうハードめな曲で笑み浮かべるような人に狂気を感じるし、それが結構好きなのだけれど、1番~2番の間奏で笑み浮かべてた小山くん好きすぎてぶっ倒れるかと思った。でも、小山くんの場合は単なる狂気じゃなくて、ジュニアの子たちと目合わせて笑ってるんだよね。体力的にキツそうなところで先輩が目合わせて笑いかけてくれたら、私だったら嬉しいし頑張れちゃうな~と思った。私がジュニアだったら慶の兄貴軍団に絶対入ってた。好き。

あと「もう何も聞こえない心臓はやかましい」で防振覗いて小山さんの腹チラ見てたオタク、絶対私だけじゃない。小山さんの腹チラ見てたオタクはみんな友達。

FIGHTERS. COMに関しては、もう加藤さんの高音に「?!」と驚きっぱなしだった。「その音出るの?!すごくない?!」とずっとなってた。本当にすごかった。かっこいい。

エス

この流れでくるエス、トドメさしにきていて最高。FIGHTERS. COM同様、ジュニアの子と笑い合ってる小山くんが好きだった…めろ…。あと最初の「本気ならもう感じてるはず 想像力も及ばぬMovement」歌ってた小山くんが最高に好きだったし、この時に増田さんと目合わせて楽しそうに掛け合いしてるのが良質なコヤマスすぎた。

なんといっても「世界はHe or She お伽話 なんもかんも繰り返し」で箱に座ってる時の小山くんの治安の悪さ、天才でした。

あと増田さんラップ終わりのカウントに合わせてスポットライトみたいに照明が順番についていくところ(伝われ)、好きすぎたので円盤に入れてほしい。

なんかもう本当にこの辺は目が足りてないので、人類の今後の進化に期待。

4+FAN

歌ってくれるのが嬉しかった歌。前奏でじんわり胸が熱くなった。小山さんがシゲマスと一緒に自撮りしていた写真、全公演分売ってください!!!!!

「やっぱ僕らファンタスティック!」と叫ぶ加藤シゲアキさん、いつ見ても、いつまで経っても大好きなので、これからもずっと高らかに叫んでほしい。

クローバー

横アリ初日、ボロボロ泣いてしまってこの歌を増田さんが歌えなかった時。いつもならファンが名前を呼んだり歌ったりするであろう場面だったように思うのだが、コロナ禍故にそのいずれも出来なかった。その時に自然発生的に手拍子が起こったのが今でも印象的で、「これだからNEWSのファンって最高なんだよな」と思った。

あの時の増田さんを微笑んで見守るコヤシゲの表情も、言葉にはしないけれどあまりにも優しくて愛だった。彼らがこちら側に見せないと判断したものを推測で話すのは野暮だし違うとは思うけれど、あの時のあの表情は、3人にしか分からない何かがあったと思う。

そんな増田さんも、名古屋公演では自分のパートを歌い切った後に笑顔で力強く頷いてみせた。優しくて強くて大好きだと思った。

この歌にはアルバム発売当初から色々なタイミングで助けられた。

加藤さんの「どんな夜だって越えられるから」「希望を手放さないで 絶望に手を出さないで 僕らの手を握っていて そのぬくもりを忘れないで 約束しよう」の歌詞に大泣きした夜があった。本当に未来どころか明日のこともよく分からなくなっていた時にこの歌を聴いて、加藤さんの言葉で「生きなきゃ」と思った。 

この1年で一番感じたのが、小山さんの温かさだった。去年の6月、自分だけ時を止められた感覚だった。どうしたらいいのか分からなかったけれど、「まだここにいたい、NEWSと一緒にいたい」と思ったことは今でも覚えている。「私なんかがここにいてもいいのかな」なんて何度も立ち止まりかけて「置いて行かないで」って思った。でも、そんな時にいつも「大丈夫だよ、分かってるよ」って振り返って待っていてくれる気がした。立ち止まりそうになる自分が嫌になることもあったけれど、それすらも肯定して包んでくれる気がした。どれだけ救われたか分からない。そんな温かさが詰まったような小山さんのパートが大好き。

ずっとこれからもNEWSが私の居場所。

NEVERLAND~EPCOTIA~WORLDISTA~STORY

旅する三角形の衣装。3人のためだけに作られた衣装を纏う3人は、立っているだけでもかっこよかった。

花道上の電飾にNEVERLANDで汽車が走っていたり、EPCOTIAで星が流れるようなワープするような光り方をしていたり、WORLDISTAでドラゴンが飛んでいたり、最後に「WORLDISTA」の文字が光っていたりしていて、本当にあの電飾の使い方の多様さに感動を覚えた。あと電飾じゃないけれど、WORLDISTAの子どもたちの声に合わせて、会場の後ろの方に「LOVE」などの文字が投影されていたのも好きだった。

小山さんのフェイスライン大好き芸人なので、いつもEPCOTIAの最後の顔の角度が天才すぎて頭抱えていたし、WORLDISTAの手叩いてる時の顔の角度も天才すぎて悶えてた。で、極めつけが↓これ。

ずるすぎ。

最後のSTORYを内向きでメンバーの姿が見える状態で歌うのがNEWSらしいなと思ったのだけれど、何よりもあの時の気迫が凄まじくて、人生とかそういうもの全てNEWSにかけて魂削っているような気がして圧倒された。ステージの上で戦う人が好きだと私は何度も言っているのだけれど、このSTORYはまさにそれだと思う。

NEW STORY

何度夢に敗れ 夢にはぐれここまで来ただろう

生きていく 一度きりの物語を

他人に言えないこと 言わないこと胸にあるだろう

生きていく すべて抱え 進んでいく 自分のSTORY 

ファンタジー性の強い4部作の最後を締めるのが、圧倒的に現実に近いこの楽曲だった。最後にこの歌を持ってきたことで、「日常生活に戻ったら辛いことや悲しいことがたくさんあるけれど、そんな時はいつでもNEWSと旅した4部作を思い出して、ここには居場所があるから」と、現実を頑張る背中を押してもらえるような気がした。ある種の餞のようなものに思えた。

オーラスの挨拶等

この後にサプライズがあるって分かってるのに、加藤さんの「こういう形になったNEWSに不安があったかもしれませんが、NEWS最高っしょ?NEWSまだまだ行けるっしょ?STORY来てよかったっしょ?NEWS伸びしろしかないっしょ?NEWSまだまだかっこいいっしょ?」で意味わからないくらい泣いた。私が思ってたこと全部バレてたのかと思った。

オーラスは席の位置的にほぼ小山さんしか見えなかったのだけれど、真っすぐに自分の喉のことだとか、言葉を紡ぐ小山さんが印象的だった。

サプライズが始まった時、暗転して映像に気づいた瞬間から顔を手で覆って泣いていた小山さんの姿が焼き付いて離れなくて。本当に話さなかった期間、辛いこともあっただろうなと思ったらこっちまで泣けてきてしまって。増田さんと加藤さんが隣にいてくれて本当によかったし、言葉として合っているか分からないけれど、「話してくれてありがとう」って思ったし、話してくれて嬉しかった。小山くん好き。(唐突に好きを伝えるオタク)

あとは最後に「俺たちの名前は?」って聞くところ。BGMとかも全部消えて、完全な無音になるのが本当に好きだった。NEWS以外のコンサートで、発声禁止と言われているにも関わらず声を出していた人を見たことがあったからかもしれないけれど、完全な無音にしても誰も声を出さずに心で名前を呼んでくれるとNEWSに信頼されている気がした。また、その無音を作り出す側であるファンも、そのNEWSの信頼に応えようとしている感じがして、愛に溢れた静寂だった。

その他諸々

去年の今頃、もうこれ以上泣くことなんて人生でそうそうないと思っていた。ところが、STORYオーラスからしばらく涙が止まらなくて、おそらくあの時と同等かそれ以上に泣いた。

なんでこんなに泣いてるんだろうなぁと思いながら泣いてた。笑

今回のSTORYの横アリ初日、”自担として”小山くんのうちわを持ったのが初めてだった。当日コンサート始まるまで、「私なんかがうちわ持っていいのか?」とずっと考えていた。

色んなところで書いているけれど、前の人の時は本当に自分で自分の首を絞めるような歪な推し方していたと思うし、過度に依存していたし、自分でも自分のこと嫌いになる勢いだった。あと一部なのは分かっているのだけれど、同担が苦手だった。笑

NEWSの3人のこと大好きであるが故に、好きなものを自分で壊したくなくて、そんな推し方しかできなかった自分を変えられないなら好きだと言いたくないと思った。ちゃんと自分の足で立って、その上でNEWSを、小山くんを好きだと言いたかった。変わりたかった。

…と、色々考えすぎた結果「本当に私がうちわをもって大丈夫なのか、NEWSの皆様にご迷惑をおかけしないか、小山さんのファンの皆様に不快な思いをさせないか」という点に頭を抱え始めるのですが(めんどくさい)、横アリでうちわを持った時、なんだかくすぐったくて嬉しくて、長年のオタク人生で感じたことのないほわほわした感情になった。

その数日後、大阪公演に参戦した小山担の友人と「この小山慶一郎がヤバい」LINEで盛り上がったのが本当に楽しかった。名古屋公演、別の小山担の友人と小山さんにやられて腰抜かしたのもすごく楽しかった。

以前は同担を避けるように生きていたから、同じ人を好きな人たちとはしゃいだり思い出を共有したりするの、こんなに楽しかったっけ、なんて幸せなんだろう、なんて考えていたら幸せすぎて涙が止まらなくなった。誰かを好きになるのって楽しいね。

小山くん、ありがとう。

 

番外編~コロナ禍のコンサート参戦~

Smile upシールドを不便に感じた結果、自前でフェイスシールドを購入した。まさか人生で推しフェイスシールドを見つけることになると思わなかった。

信じられないくらい視界がクリア。もはやつけてる方が見やすい気がする。(?)

これを曇り止めシートで拭いて装着すればコンサート中もノーストレス。曇り止めシートは防振のレンズを拭くのにも使った。防振で見たいのに、マスクからの蒸気で曇って見逃すとかいう悲劇が起きたので。笑

どうやら他の市販のフェイスシールドでも配布されるものよりは見やすいようなので、各々推しフェイスシールドを見つけてみてもいいかもしれない。次のコンサートでは使わない世界になってるのが一番だけどね。

あとは可愛いマスクを付けたかったので、コンサート中は不織布マスクが隠れるような布マスクを上から重ねて付けてた。メンバーカラー身に着けるとテンション上がるよね。

さいごに

とりとめもなく書いてしまったけれど、まとめるとSTORYはとにかく最高によかったし、NEWSの3人は最高にかっこよかった。この先NEWSが見せてくれる景色が楽しみで仕方ない。

コロナ禍だったのもあって、まだ叶えていない夢がある。それは、物販で「小山くんのうちわください」と言うこと。

次のコンサートでは、思う存分キャーキャー言いたいな!コロナくたばれ!

 

* * *

 

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*1:NEWS LIVE TOUR 2020 STORY パンフレット P.42(増田さんインタビュー)、46(加藤さんインタビュー)

*2:NEWS LIVE TOUR 2020 STORY パンフレット P.42(増田さんインタビュー)

*3:加藤シゲアキ「やめられない」書くこと生活の一部に - ジャニーズ : 日刊スポーツ

*4:2021年6月2日放送 KちゃんNEWS

私のSTORY、私の居場所

少し前に自分のTwitterのツイフィールを編集していた時、ふとTwitter歴と登録日が目に入った。

私がこのTwitterアカウントを作成したのは1年前、2020年5月24日だった。

 

そっか、もう1年か。いや、まだ1年か、とでも言うべきか。

 

1年前の私は手越担だった。

 

 

WORLDISTAの最終公演に私は友人たちと参戦していた。車に乗り込んで長野駅に向かうべく、最後の映像が終わった瞬間にダッシュで退場する気だった。いつも流れていたNEWS4人の映像が終わった後、走ろうとした時に始まったいつもと違う映像。

「STORY」が発表された瞬間だった。あの時の歓喜に沸く会場の様子も、泣き笑いながら車まで走ったことも、すべて昨日のことのように覚えている。

 

特設サイトで夏頃に募集された企画にもすべて参加した。募集されたのは"STORY"という手書き画像、現実の"STORY"の募集、未来の"STORY"-あなたの"夢"。

 

この時、私が送った夢は「好きな人たちとずっと一緒に幸せでいられますように」だった。

祈りにも似ていた。すがりつくような気持ちだった。

 

この募集が行われた2019年、年が明けて早々生きた心地がしていなかった。毎日起きた時にスマホを開くのが怖かった。思い返せば、2017年5月も同じような感情だったけれど。

色々なことが積もりに積もって、「どうかこの時が少しでも長く続いてほしい」と、多かれ少なかれ怯えながら過ごしていたと思う。「幕が上がった時にいなかったらどうしよう」って何回思ったか分からない。すごく幸せだったけれど、すごくしんどかった。ある種の麻薬みたいな幸福だったように思える。当時、自担がいなくなったら私には何も残らないんじゃないかと本気で思っていたし、それくらいどうしようもない依存状態だった。

永遠なんてないと分かりながら「好きな人たちとずっと一緒に幸せでいたい」と、あの時の私は願った。

 

 

1年前、色々な感情が蠢くTLを見るのがしんどくて、ほぼ誰にも教えずに今のTwitterアカウントを作った。最低限の情報収集はしたいし、自分の脳内を言語化してアウトプットしないと死ぬので、Twitterを辞めるという選択肢がない辺りが面倒くさい人間だなとつくづく思う。「多分、自担は帰ってこないんだろうな」と思いながら1か月くらい過ごしていた記憶がある。帰ってくると思えなかったくらいには、当時の自担のことを分かっていたつもりだ。

 

私は本当に同担が苦手で仕方なかった。仲のいい大好きな同担は片手どころか3本の指で収まるくらいだったし、1人は途中で降りたので実質2人しかいなかった。というのも、フォロワー数の多い人の発言=その担当の総意のように見えがちだと思うのだが、そういった人には私が観測できる範囲ではオンリー担のような人が多かった。意識的なのか無意識なのかそもそも自担以外見えていないのか分からないが、他のメンバーを若干下に見たような発言を見るたびに「ああ、しんどいな、苦手だな」と感じていた。結果的に「そもそも知り合わない」というスタイルでオタクをしていた。

 

当時の自担がボロクソ言われるのも当時はつらかったけれど、当時の同担が3人のこと悪く言うのは見ていてもっとつらかった。

 

 

去年の6月、私が悲しくて悲しくて仕方なくて泣いていた理由のひとつは「完璧な形のSTORYを二度と見られないこと」だった。2019年5月に発表されてからずっと楽しみにしていた。NEWSがこだわって作ってきたのも知っていた。2020年の年明け早々にわくわくしたメールで「ツアーやるよ!」なんて送ってきたくらい、NEWS本人たちも楽しみにしていたはずなのだ。

 

1人で泣きながら「どうしよう、どうしたい?」なんて考えていた。ボロ泣きしながらクローバーを聴いた。加藤さんの「僕らの手を握っていて、その温もりを忘れないで」が妙にすとんと自分の中に入ってきて、「ああ、NEWSと一緒にいたい」と思った。本当に救われた。

 

ただ、「NEWSやNEWSが作ってきたもの、NEWSの3人や周りの人たちのことを多かれ少なかれ傷つけた人を推していた私が、この期に及んでNEWSを、ましてやその中の誰かを好きだと言っていいのか?」という思いはあった。その人のことをずっと真っすぐに応援していた周りの子たちを見ていたから、なおさら。あとは少しだけ怖かった。

 

もともと3人みんな意味わかんないくらい大好きだったし、もう「自担」を設けずに箱推しでいけばいいのではないかと1~2週間くらいは思った。思ってた。本当です。無理でした。本当に笑えるくらい無理でした。もともと狂ったように好きだったのに、なんで1回「箱推し」で耐えようと思った?

この辺りの詳細な話は以前したので割愛するけれど、私はグループ全員を好きになれないと特定の誰かも全力で推せないのと同時に、純粋な「箱推し」というのも無理な人間なんだなと痛感した。小山くんに甘えたくなっちゃったし甘やかされたくなっちゃった。*1

 

 

2020年末、大掃除の合間に私はKちゃんNEWSにメールを送っていた。

 

小山くんこんばんは。

毎週楽しくラジオを聴いています。

 

年末に大掃除をしていたところ、11年前の雑誌が出てきました。

その中で小山くんが「可愛いなと思う告白は?」という質問に対して「『好きすぎてムリ』なんて言われたら好きになっちゃうよ」と答えていました。

11年経った今、小山くんが可愛いなと思う告白はどんなものですか?

 

ちなみに私は小山くんのこと好きすぎて無理って毎日言っています。

今日も好きです。明日からもきっと好きです。

小山くんのこと好きすぎて毎日楽しいです。

ありがとうございます。

結構真面目なメールも送っているにもかかわらず、まさかの私のTwitterを音読したかのようなメールを読まれるという珍事。*2穴があったら入りたい。

 

この時、私は無意識に「明日からも"きっと"好き」と書いていた。ここを読んだとき、小山くんは「"きっと"なの?」と言っていた。ハッとした。傷ついたとか悲しかったとか、そういう感情では断じてないのだけれど、「私、なんで"きっと"って書いたんだろう?」としばらく考えていた。

 

去年の5月、自分だけ時を止められたような感覚だった。3人に「置いて行かないで」って思っていた。NEWSについて行きたいという気持ちは6月から明確にあった。それでも何度も何度も急に怖くなる時があって、立ち止まりそうになった。WORDISTAの円盤が発売された時とかもなんだけど、その度に「分かってるよ」って振り返って待っていてくれるような、その優しさにどれだけ救われたか分からない。

 

私は基本的に人の気持ちは変わっていくもので、「今この時点では私はこう思っているけれど、何らかの事情で明日にはその気持ちは変わっているかもしれない」などと考えている。多分、誰よりも永遠を信じたいくせに、永遠を信じられないんだと思う。その結果が「きっと」だった。本当に自分のことを面倒くさい人間だと思う。

 

また、「私の好きなNEWSがもうこの世になかったらどうしよう」とも少し思っていた。3人のこと大好きだけれど、3人を生で見た時に自分の中にどんな感情が起こるのか、まったく想像できなかった。「好きでいたい人たちをもし好きでいられなかったら?」と思うと怖かった。

 

 

6月に泣きはらしながら諦めた「完璧なSTORYを見たかった」という望みを、NEWSの3人が「本来の形に近いものを」と届けてくれることになった。ひとつの作品を諦めるのは本当に悲しかったから、その気持ちだけでも嬉しかった。

 

本来の形は知らないけれど、オープニングで確信した。

 

「4人の男がいた」

 

お~~~~~~~い!!!!!!!NEWS天才か~~~~~~~~~~!!!!!!!!!!!!!

 

見れた。完全に私が見たかったもの見れた。ヤッターーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!NEWS優勝!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!

 

この形が嫌だと思う人もいるとは思う。4人ではなくすべて3人の物語に上書きするという手もあったと思う。色んな手段があったと思う。それでも多分、どの手段を取っても誰かは納得しないんだと思う。

ただ、「作品として完璧なものを見たかった」と思っていた私にとって、「3人で本来の形に限りなく近いものを見せる」というのは1番いい形だった。作品作りに対する解釈の一致。MCによると、セットリストもソロが1曲抜けただけとのこと。NEWS、最高です。天才。

 

 

「テゴシ」が主語だったと思われるストーリーの主語は「男」になっていた。皮肉かな、主語が「男」になると、よりフィクション性が高まって聞こえて、ひとつの童話を聞いているようだった。

 

別に未練があるわけではないのだけれど、STORYに関してはどうしても「手越担だった」という部分は完全に拭い去った状態で参戦できないだろうなと思っていた。どんな衣装を着るはずだったんだろう。どんな文字を書いていたんだろう。君は最後にどんな夢を語っていたんだろう。ふとした時にそんなことが頭をよぎることがあった。でも、裏を返せば、きっと私はSTORYが終わったら完全に手越担でなくなるんだとも思っていた。

ウェディングケーキに炎を灯した後、ステージの上でピンクの光が明滅しながら消えていくのを見ながら、自分の中にわずかばかり残っていた色々な感情が一緒に浄化されて、過去になっていくような感覚があった。実際、どういうわけか、クローバーで「もしこの場にいたら」とどれだけ想像しようとしても、もう歌ってる姿も声もあんなに見慣れていたはずの文字も浮かばなくて、「ああ、もう私の中にいないんだ」と痛感した。

 

私はアイドルの虚構性や完璧に作られた夢・虚構の世界が大好きだ。あのストーリーの最後は書き換えられたものだと思うのだけれど、NEWSが作ったSTORYの世界での「地図の欠片をもらった男は、その欠片を『3人にもう戻らないと伝えて』と鳥に託した」という終わり方、綺麗だなと思った。動物たちに出会ったその世界で、男は何を見たんだろう。現実は私たちが見えているところと見えていないところと色々あると思うけれど、STORYの世界はそれでいいんだと思う。

 

虚構や夢って、もしかすると現実と比べてすごく脆いものなのかもしれない。それでも、その現実世界で辛いことや悲しいことがあった時に、それを乗り越えるために必要なものだと思う。

「辛い時、ここに来たら楽しいことがある」と繰り返し伝えてくれる増田くん。

「俺の夢はみんなの夢であり続けること」と言ったシゲちゃん。

NEWSを「未来もみんなの居場所」だと歌った小山くん。

 

STORYで3人を見た時、私は自分がどういう感情になるのか分からなかった。怖かった。でも、そんな心配まったくいらなかった。

ステージの上に立つ3人は本当にかっこよかった。「4人で歌うことを想定して作られた楽曲を3人で歌う」というのは、「弦楽四重奏をヴァイオリンなしでやれ」と言われているようなものだと思う。そんなの、簡単に出来ることじゃない。それでも、3人で魅せてくれたSTORYは本当にかっこよかった。一体どれだけ裏で努力したのだろう。私の大好きなNEWSを守ってくれて、私の大好きなNEWSが作るステージの上にい続けてくれてありがとう。

 

もう、推しとかそういう概念を通り越して、私はNEWSという作品そのものを愛しているし、率直にずっとここにいたいと思う。NEWSが作る景色が私はやっぱり世界一好きで、この先も一緒にその景色を見たい。誰かの代わりでも何でもなく、どうしたって私はNEWSがいい。やっぱり私は、舞台の上で戦う人が好きだ。大好きで大好きで仕方ない。STORYを通してより強くそう思った。

 

 

今のTwitterアカウントを作って1年。

「絶対に誰かの代わりみたいな形で誰かを好きになりたくない」、「アイドルに過度に依存する精神性を変えられないならNEWSを好きだと言いたくない」というのが、6月に「NEWSと一緒にいたい」と思ったときに自分に課した課題だった。

「NEWSを好きでいたいから変わりたい」と思った。私、少しは変われたかな。変われているといいな。

 

1年前、真っ暗闇の中でもう二度と笑えないんじゃないか、どうやって生きればいいのかと思っていた私に何かを伝えられるなら、「今すっごく幸せだよ、大丈夫だよ、また笑えるよ、まだ制限はあるけれど未来は明るいよ」と伝えたいと思う。

 

 

地元で迎えたオーラス、参戦出来て本当に本当によかった。ひとつだけ言うなら、コロナのせいで小学校の頃からの親友が来られなくなったことだけが悔しかったな。でも配信終わりにLINE来ていて、次は絶対行こう、コロナ絶対滅ぼそうと誓ったので、コロナ、お前覚えとけよ。どれだけ謝ってもお前だけは許さないからな。

 

NEWS LIVE TOUR 2020 STORY、完走おめでとうございます。

 

明日からもNEWSのことず~~~~~~~っと大好き!!!

 

 

* * *

 

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*1:なお、現在はものすごく同担大好きです。

*2:2021年1月20日放送分

「推しが燃えた。」

※『推し、燃ゆ』の作品の内容に触れていますので、ご注意ください。

 

 

 

 

推しが燃えた。ファンを殴ったらしい。

 

そんなドキッとする一節から始まる宇佐見りんさんの『推し、燃ゆ』。第164回芥川賞を受賞した作品だ。

 

2020年12月18日、第164回芥川賞直木賞の候補作が発表された。私が本作を知ったのは、その約2か月前のことだった。

 

 

 

 

私は人生の大半を、アイドルを推しながら生きてきた。そんなアイドルをスキャンダラスに報じる週刊誌やネットニュースという類のものが私は好きではない。ただあの日、どうしてかこの記事に出会った私は、吸い込まれるようにこの記事を読んだ。「私の話だ」と、直感的にそう思ってしまったのだ。

 

 「読まなきゃ」と、そう思った。「読みたい」ではなく、「読まなければならない」という気持ちだった。

 

私には2人の推しがいた。

 

主人公のあかりの推しはファンを殴ったらしい。詳細なことは何ひとつ分かっていなかったにも関わらず、一晩で炎上した。虫の知らせのように目を覚まし、何の気なしに見たSNSの騒がしさにも、「推しがファンを殴った」という文字列が目に入った時に頭が真っ白になったことにも、「無事?」と連絡をくれる友人にも、全て身に覚えがあった。細かなところまで、ひとつひとつが刺さって、痛くなってしまって少し泣いた。

 

アイドルのファンには色々なタイプがおり、その点については本作でも以下のように触れられている。

アイドルとのかかわり方は十人十色で、推しのすべての行動を信奉する人もいれば、善し悪しがわからないとファンとは言えないと批評する人もいる。推しを恋愛的に好きで作品には興味がない人、そういった感情はないが推しにリプライを送るなど積極的に触れ合う人、逆に作品だけが好きでスキャンダルなどに一切興味を示さない人、お金を使うことに集中する人、ファン同士の交流が好きな人。 

 

あかりの世界は推しである「真幸くん」を中心に回っている。CDやDVDはもちろん、過去のグッズも集め、テレビは録画をして何度も見返し、ラジオでの発言は文字に起こし、それらをもとに推しを解釈し、ブログに書き起こす。あかりは、作品も人もまるごと解釈し続け、推しの見る世界を見ようとするタイプのファンだった。

 

ネットの世界では「ブログのファンです」と言われ、落ち着いたしっかり者として見られているあかりだが、現実世界では普通の生活もままならない。学校の勉強は頭に入らず、バイトでは失敗ばかり。「生きる」という行為の輪郭がぼやけていたあかりに、生きるための莫大なエネルギーを与えたのは推しとの出会いで、生き続ける理由も推しの存在だった。

 

 

私が推しの1人と出会ったのは小学生の頃だった。

推しが所属しているグループ名は知っていたものの、テレビに映るその人がそのグループに所属しているとは認識していなかった。推しの名前も聞いたことはあったが、テレビに映るその人とは結び付いていなかった。

ただ、テレビで優しい顔をしてギターを弾く彼を見た時に、「この人、好きだ」と思った。ある種の初恋のようなものだった。

 

あかりと同様、私が推しをしっかりと推すのは、この出会いから少し後のことになる。中学生ともなると、周りにもアイドルが好きな友人が増え、ひたすら推しの話をしていたように思う。解釈だとか、どういう応援スタンスだとか、そんなことは全く考えたことがなかった。ただただ楽しかった。

 

高校に入ってからも相変わらず推しのことが大好きだった。この辺りでもう1人の推しだった人とも出会うのだが、それについては後述する。

 

この頃、推しは雑誌のインタビューで次のように話していた。

 

「ファンの人たちの働く目的が『自分たちのものを買うため』になってはいけないと僕らは思っている。ちょっとしたモチベーションになるのはいいけど、それが主たる目的になっちゃいけない気がする。自分で稼いだお金は、その人自身に投資するべきで。それより僕らは、ひとりひとりの生活のサイクルの一部になればいいと思っています。」

 

当時の私には、この言葉の意味が分からなかった。校則でバイトが禁止されていた当時の私の世界は学校がほとんどで、友達と遊ぶ以外にお小遣いやお年玉を使うところといえば推ししかなかった。

意味は分からなかったけれど、ずっと私の中で引っかかり続けていた。

 

 

高校2年生の時、数学の授業でベクトルを習った。平面ベクトルが終わり、空間ベクトルに入る時、数学の教師が問いかけてきたことがある。

 

「椅子のようなものを想像してみろ。物が安定して立つために必要な柱の数は最低何本だと思うか?答えは3本だ。」

 

今思えば、とても太ければ1本でもいいのではないかとか、デザインでいかようにもなるのではないかとか、色々思うことはあるのだが、変に素直だった私は、その数学教師の話に妙に感銘を受けた。

「もしかすると、人間が安定して立つために必要な柱の数も3本なのかもしれない」と、しばらく経った頃にふと思った。

 

主人公のあかりは、推しを「背骨」と例えた。勉強、部活、バイトや、そこで得たお金で友達と行く映画やご飯などを全てそぎ落とし、推しという背骨に人生を集約していた。あかりの柱は1本だった。

 

私の柱も長い間1本だったが、高校、大学と時を経るにつれ、だんだんと興味の幅が広がっていった。推しと呼べる人はもう1人増えていた。アイドル以外の分野も含めれば、柱の数は3本どころの話ではなかった。

 

それなのに、私はそのバランスが崩れていった。後から増えたもう1人の推しに、時間やお金、感情が集約されていった。依存していた。作中のあかりを見ながら、その当時の私を思い出す時があった。

 

バランスが崩れた時のことを思うと、ちょうど色々なことが重なっていたように思う。最初に好きになった推しに、熱愛報道が出た。SNSは燃えていた。推しに恋愛感情を抱いたことなどなかったが、その状況から目をそらしたかった。

職場の人間関係が劣悪だった。朝なんか来てほしくなかった。目が覚めて、玄関から出るのに尋常じゃない気力が必要だった。

 

作者の宇佐見さんは、インタビューの中で次のように述べていた。

 私は、自分の力では歩けない時期っていうのはあると思っていて。生活にはいろいろなタスクがあって、勉強でも仕事でも、締め切りがあるものに食らいついていかなきゃいけない。しんどいけどなんとかやっていかなきゃ、っていうとき、推しに触れたことによってぼっとエネルギーが生まれて、その勢いで進める。推しが推進力になる感覚です。

 ああ、あの時の私だ。そう思った。

 

そうやって依存していたもう1人の推しだった人もよく燃えていた。あかりが推しに対して放った言葉や感情は、私が彼に向けていたそれに近いものがあった。あかりの方がもう少し重くて、湿度が高いとは思うけれど。

 

外野に「花畑」「信者」と揶揄される様も、とても見覚えがあった。あかりに対して「どうしてこんなに傷ついてまで推し続けるのだろう」と思いながらも、必死に生きようと推し続ける気持ちも同時に分かってしまう私がいた。結婚したいとか、彼女になりたいとか、そういう感情では全くなくて、もっと切実で、生きるために必要だからとすがりつく必死さ。共感を超えて、どうしようもなく痛かった。

 

やめてくれ、あたしから背骨を奪わないでくれ。推しがいなくなったらあたしは本当に、生きていけなくなる。あたしはあたしをあたしだと認められなくなる。

 

あかりの推しは、最後のインスタライブで「ありがとう、今まで。おれなんかについてきてくれて」と言った。私の推しだった人が過去に話した言葉を思い出して、鼻の奥の方がツンと熱くなった。

 

彼がずっとアイドルでい続ける気がないことはどこかで分かっていた。いつか辞めることも分かっていた。そもそも、彼に限らずアイドルという存在が永遠ではないことは分かっていた。分かっているのに、どうしてか永遠を夢見てしまうのがファンの悲しい性だ。

 

あかりが推しと出会った時、推しはピーターパンを演じていた。あかりはその推しに魅せられ、思わず「ネバーランドに行きたい」と口にした。

 

永遠を信じたかった。ネバーランドに行きたかった。醒めない夢がよかった。そんな夢は叶わないと分かっていた。何度も何度も、上手にさよならを言う練習をしていた。

 

 

推しが燃えた。そしてアイドルを辞めた。

 

あかりと違って、私には彼について行くか否かという選択権が委ねられていた。当然ついて行くと思っていた。

ただ、高校時代に聞いたもう1人の推しの言葉と、数学教師の言葉が引っかかり続けていた。とてつもなく依存していたくせに、最後まで彼1人に振り切れなかったのは、これらの言葉が常に脳裏にあったからだと思う。

きっと、彼について行ったら、私は本当に背骨だけの不安定な存在になる。それこそ、私が死ぬと思った。だから、「ついて行かない」方の選択肢を選んだ。

 

本作の最後のシーンを読んだとき、私は「どうかあかりには幸せになってほしい」と思った。ふと、推しがアイドルを辞めたタイミングで、私が当時のTwitterアカウントを消した時のことを思い出した。マシュマロで「どうか幸せでいてください」と送ってくれた人がいた。

「何故このタイミングで私の幸せを願うのだろう」と当時は思っていたが、もしかすると彼女には私が「あかり」に見えていたのかもしれない。

 

 

私はファンの数だけ「好き」の種類があると思っている。私はあの日「ついて行かない」方を選んだが、私にとってはそれが最適解だっただけの話で、「ついて行く」が正解の人がいるのも当たり前だと思う。

それに限らず、恋愛や結婚、その他色々なことに対して、ファンは事あるごとに対立する。「好き」の種類が違うのだから、相反する価値観がぶつかり合うのも無理はない。何もかも受け入れられなくなるのも、許せないのも、全て肯定するのも、全くの無関心でいるのも、すべて間違っていない。

どうしたって考え方や価値観の相違は出てきてしまう。私は価値観の違う人とは仲良く付き合っていける自信は全くないが、自分とは違うスタンスの人の存在を否定する気もない。

 

ネット上では「しっかり者」に見られていたあかりには、普通の生活もままならない人生が付きまとっていた。あかりは、ネット上では「花畑」「馬鹿信者」と一部の人に揶揄され続けていたことと思う。そういったファンについてどれだけ他人が理解に苦しみ、否定したとしても、その裏には壮絶な人生があった。推しにしがみついてもがき続けないと、きっと彼女は生きていけなかった。

推しが燃えた時、「病めるときも健やかなるときも推しを推す」とつづったあかりは、最後までそれを貫き通していた。「盲目花畑信者」と罵られるであろうファンの、ひとつの人生を読んだようだった。

 

 

こういったこともあり、私はアイドルに依存していた自分を変えたいと思った。背骨のように依存していた状態から脱却するのは、私にとって初めは苦行だった。どうしてもどこかで寄りかかりたくなってしまう自分が嫌になることもあったが、アイドル側から提示された「逃げる場所にしたっていい」、「辛くて逃げたいことがあった時、ここに来たら楽しいことがある」という言葉に許された気がした。すごく救われた。いつか推しが言っていた「ちょっとしたモチベーション」、「ひとりひとりの生活のサイクルの一部」の意味が、ようやく分かった気がした。

 

1人の推しとはお別れをした私であるが、最初に好きになった推しのことは変わらず好きである。間違いなく私を支える柱の1本となっている。「逃げる場所にしてもいい」と言ってくれたアイドルたちももちろん大好きだ。彼らも私の柱の1つである。

私はどうしても色々なものに興味をもってしまう性質なので、相変わらず興味の対象は分散している。最低限必要な3本どころの話ではない。

 

ひとつ言えるのは、今、私は幸せだということだ。あの日、私の幸せを願ってマシュマロを投げてくれた誰かに伝えたい。

 

どうか、あかりのこの先の人生が温かくて幸せなものになることを願ってやまない。

 

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うき世になにか久しかるべき

2020年のこと、書こうかどうか迷ったけれど、やっぱり全部置いていきたいから書くことにした。

xxxsky.hatenablog.com

6月にこの記事を書いて、当時のTwitterアカウントをログアウトした。


あの時は、本当にNEWSも手越さんも応援する気だった。記事に書かれているのは間違いなく、当時の私が思っていたことだ。

 

結論から言うと、私は今の手越さんのことをほとんど知らない。ここに至るまでのこと、自己満足だけれど書き留めておこうと思う。誰かの賛同を得たいわけでも、誰かを非難したいわけでもないけれど、自分の感情を言語化しておきたいから。


7月は、ちゃんとTwitterも見ていたし、YouTubeもそれなりに見ていた。でもやっぱり、どこかで自分の中に違和感があった。「本当にこの人について行っていいのか?」と考えた時、私は素直に首を縦に振れなかった。

 

どうしてこうなったのか、分からないなりに初めは応援しようとしていた。一緒に歩くなら、どんな荒地だろうが荒天だろうが、ずっと楽しいだろうと思っていた。きっと、その時は分岐点で違う道に行っていたことに気づいていなくて、歩いていくにつれ、どんどん自分との価値観の相違や認識のズレを感じるようになって、最終的に「もうダメなんだろうな」と思った。どんどん開いていく距離はもう縮まることはなくて、縮めようとするのであれば、それは私が私を曲げる必要があった。でも絶対に曲げられない部分が多かった。私が私でいようとする限り、もうこの人を応援することはできないとはっきり思った。


6月19日に全部無くなって、否が応でも徹底的に自分と向き合わないといけなくなった。自分の感情、価値観、大切にしたいもの、好きなもの。ゼロの状態からひとつずつ拾ったり、しまったものを引き出してみたり、落としてきたものを取りに戻ったり。そうやって本当に自分にとって必要なものを選んでいった時、そこに手越さんはいなかった。入れることが出来なかった。入れたらきっと、私が大切にしたいものたちを全て手放さないといけなかったから。

 

手越さんについていくという選択は自分が破綻する感じがして、また共依存に陥って自分が死んでいく気がした。私が変わらないと意味がない。私の意思や価値観を壊して手越さんに合わせていったら、本当に自分が消える。ちゃんと自分で自分は幸せにしないといけない。他人の問題まで自分の問題として取り込んで苦しむ癖がある分、多分これは、手越さんから手を離さないと手越さんの感情に飲まれて自分が死ぬと思った。

 

手越さんが手越さんとしていて、私が私でいる以上、どうやっても相いれないところまで離れてしまったんだろう。他人を変えようなんて無理な話だから、一緒にいるには私が変わらないといけなかったのだけれど、私も絶対に変えたくないところばかりだった。それだけの話なんだと思う。


夏頃には自分の中で気持ちの整理はついていたのだけれど、WORDISTAの円盤が発売された時、初めはLove Storyだけがどうしても聴けなかった。まさかあのタイミングで泣くと思わなかった。なんで泣いてるんだろうってずっと考えてた。

 

本当に私はどうしようもない手越担だった。完全に自分の幸せが手越さんに依存したものになっていた。


NEVERLANDとかEPCOTIAの後とかENCOREの時とか毎回冷や冷やしてたし、ご飯食べられなくなったり寝られなくなったりまともに笑えなくなったりするくらいにはメンタルやられてた時もあった。私の特性として、相手の感情に当てられて影響されやすいっていうのもあると思う。例えば、自分に向けられたものじゃなくても、誰かが誰かに向けた言葉の刃物で自分まで抉られたりだとか、異様なまでにもらい泣きしてしまったりだとか。だから、手越さんが明らかに病んでる時は自分まで引きずり込まれてた。

 

そんな不安定な状態なのに、WORLDISTAを観て思うのは、やっぱりコンサートの時は100%幸せだったし、愛されていたということ。Love Storyは私の中でその象徴だった。ファンの前で柔らかく笑う笑顔がすごく好きだったし、その顔を見る度にすごく愛されてたと思うし、幸せだった。私の手越さんに対する「好き」の種類は、本当にどうしようもなく馬鹿だと思うけど、存在する言葉の中では「恋」が1番近いものだったと思う。普通だったら許せないことも、ありえないと思うことも、全部例外になってしまう存在だったから。


WORLDISTAを見たら終われるんだと思っていた。Love Storyでは泣いてしまったけれど、あの時点で既に「どこが好きだったんだっけな…」と記憶喪失を起こしていたので、そういう意味ではもしかしたら終わっていたのかもしれない。でも、ビューティフルを聴いた時、いないはずの声が聴こえる気になってしまう自分がいた。ドラマの初期で流れていた頃の記憶があるのもあるだろうけれど、この曲が作られた時は間違いなくNEWSは4人で、4人で歌うことを想定されて作られているから、どうしてもNEWSの曲を聴き続けてきた身としては「きっとここを歌っていたのだろう」と分かってしまう。あの時感じた怒りなのか悔しさなのか寂しさなのか分からない感情を自分の中で処理出来たら、今度こそ本当に終われるのだろうなと、そう思った。

 

前から少しずつ片付けてはいたけれど、年末休みに入って片っ端から大掃除をした。あの時のコンサートで着ていた服、何枚も買ったうちわ、沢山集めたオフショット、昔からため込んでいた雑誌。どう考えても楽しかった。少し歪んではいたけれど幸せだったし、大好きだった。

 

でも、何を見ても全部「だった」って過去形になる。もう自分の中ではっきりと線引きがされていて、NEWSの手越祐也は明確に過去のものとして認識している。過去の、幸せだった、大好きだった大切なもの。それらを思い出してしまう物たちを沢山手放した。すごくすっきりした。


私は過去に戻りたいとは一切思わないし、手越さんに戻ってきて欲しいと思ったこともない。むしろ、戻ってきても、もううちわを持ちたいとは思わない。NEWSの3人にジャニーズを辞めて合流して欲しいとも微塵も思わない。そんなことを望むのは、全部めちゃくちゃだと思ってる。NEWSは3人で、今の私が好きなNEWSは3人。それだけが事実。私はもしかしたら、とても薄情なのかもしれない。

 

4人じゃないとできないことはあったと思うけれど、4人ではできないこともあったと思う。むしろ3人になったからこそできることもきっとたくさんあると思う。

 

チンチャうまっかやカナリヤは3人のNEWSが歌うことを想定されて作られた曲だ。紛うことなき3人のNEWSの歌で、そこにいない人が歌うことは想定されて作られていないから、その人の声を探すことはない。


もう手越さんのうちわは持たないし、自ら情報を得ようとすることも、現場に行こうと、必死に会いに行こうとすることもないんだろうけど、でもきっとずっと嫌いにはなれないんだろうなぁと思う。例えば地の果てまで落ちるような、世界中が敵になるようなことがあって、闇に飲まれそうになったとして、その時に手を伸ばされたら振り払えないなと思う。というか、そもそもそんなことになって欲しくはない。

 

私は未練とか後悔なんて本当に無くて、過去に戻りたいとか、あの時こうしてればよかったとか、そんなの思ったことも無い。なんとなく、手越さんはずっとNEWSにいてくれるわけじゃないって分かってて、突然終わることだってあると思っていた。だから、いつ終わっても後悔しないようにしようと追いかけてた。それで余計にとんでもない依存状態になってたんだろうけれど。

 

今年中に何か書いて終わろうと思っていたらこのタイミングになってしまった。
でもこれで、自分の中ではちゃんと終われると思う。

 

今は手越さんの全てのSNSが目に入らない状態になっているし、名前自体も少し申し訳ないなと思いながらもミュート設定している。本当に、私は今手越さんが何をしているか知らない。それでいい。私にとってそれが最善の選択だっただけのことだから。

 

長い間ありがとう。大好きだったよ。ずっとついて行けなくて本当にごめんなさい。どうか幸せでいてね。

ミュージカル『ハウ・トゥー・サクシード』を観劇してきました。

はじめに

タイトルのとおり、ミュージカル『ハウ・トゥー・サクシード』を観劇させていただきました。私はNEWSのオタクなので、最初のきっかけこそ「増田さんが出る」ということでしたが、にわかとはいえミュージカルは好きですし、アメリカをはじめとした欧米史にズブズブの学生時代を送っていたので、観る前から絶対に好きな作品なんだろうとわくわくしていました。案の定、というか予想以上に楽しむことができました。

1 『ハウ・トゥー・サクシード』とアメリカについて

本作『ハウ・トゥー・サクシード』は、 作家シェパード・ミードがアメリカのビジネス社会を風刺した本『How to Succeed in Business Without Really Trying(努力しないで出世する方法)』を基に製作された、1961年初演のブロードウェイ・ミュージカルです。

1960年代のアメリカを舞台に、増田さんの演じるフィンチが「努力しないで出世する方法」を手引きにし、ビルの窓ふきからあれよあれよという間に大企業でトップに上り詰めていく…というのが大筋の物語。フィンチにひとめぼれをしたローズマリーとの恋、身内のコネを全力で使って出世を企むバドとの応酬、ヘディ・ラ・ルーのハニートラップなど色々なことが展開されつつも、フィンチは順調に出世をしていきます。…が、テレビ番組の企画で重大なアクシデントを起こしてしまい、責任問題に発展してしまいます。責任を取り、会社を辞めてビルの窓ふきに戻ろうとするフィンチですが、持ち前の機転と運のよさでピンチを乗り越え、ハッピーエンドで幕を閉めます。

コメディらしく、終始ハッピーな雰囲気で作品は進んでいきますが、「A Secretary Is Not A Toy(秘書はオモチャじゃない)」で見られるように、セクシュアルハラスメントパワーハラスメントをジョークにし、皮肉っている表現もあります。

基になった『How to Succeed in Business Without Really Trying』が発表された1950年代や、ミュージカルが初演された1960年代初頭のアメリカでは、若者が既成の価値観・文化に反発するようになりました。この流れは1960年代後半以降になるとさらに広がりを見せていきます。いわゆる「カウンター・カルチャー(対抗文化)」と呼ばれるものです。若者が反発した価値観の中には、セクシュアリティや女性の権利、権威主義といったものも含まれていました。

そんな時代背景の中で作られたことを踏まえると、「秘書はオモチャじゃない」などの表現も、そのような既成の価値観に対する、ユーモアたっぷりな反抗のひとつだったのかもしれないと感じました。

もうひとつこの時代の作品らしいと思ったのが、全て順調に進んでいたはずのフィンチが失敗を犯してしまったテレビのシーンです。第二次世界大戦後、アメリカでは娯楽と情報の源となるテレビが登場しました。1953年には全世帯の2/3にまで普及していたといいます。アメリカを代表するエンターテイナーであるウォルト・ディズニーも、1955年に開園したカリフォルニア州アナハイムのディズニーランド建設のための資金を、テレビを利用して集めました。

20世紀のアメリカは、メディアの力を借りて宣伝をしたい企業と、企業からの広告収入に頼るメディアの相互依存によって経済発展が進んできました。企業とメディアは、互いに自立した状態でなければ、事実を作為的に変えたり、捏造したりすることに繋がります。いわゆる「やらせ」と言われるものですが、アメリカにおける「やらせ」の有名な例がクイズ番組「21」です。

1950年代、アメリカでは高額の賞金を売り物にした番組が乱立していました。そのひとつであった「21」は1956年から1958年に放送されていましたが、このクイズ番組に出演し、連勝していた回答者の風貌や品格が望ましくないと感じたスポンサー会社がプロデューサーに苦情を入れたことが事の発端でした。プロデューサーは回答者にわざと間違えるようにもちかけ、回答者は悩みながらもその申し出を呑み、他の回答者が彼と接戦の末勝利するという劇的な演出をしました。しかしこの「やらせ」は白日の下にさらされ、「21」以外の高額クイズ番組もほとんどすべてが放送休止となりました。*1

クイズ番組とは若干毛色が異なるものの、謎解きの要素を含んだお宝探しを題材としたテレビ番組であること、高額の賞金よりもインパクトのある商品として自社の株を宝物に設定したこと、フィンチが何度も「やらせじゃない」と言っていたこと、結果としてこの出来事でフィンチが危機的状況に陥る辺りは、この時代のアメリカ大衆文化を象徴しているように思ったと同時に、このスキャンダルのことも意識されていたのかな、と思いました。

2 エンターテインメントの必要性

2020年2月26日。あの日からエンターテインメントの世界は大きく変わってしまいました。リハーサルなど準備を進めていた最中、開演数時間前に急遽コンサートが中止となったアーティストもいれば、直近のコンサートを延期、中止としたアーティストも多くいました。テーマパークは軒並み閉園、映画は次々と公開が延期になり、演劇やミュージカルも休演が相次ぎました。

始めこそ「3月半ばには…」「4月になれば…」などと思っていましたが、今思えばそんな状況ではありませんでした。7月、8月と、段階的に緩和されてきた部分はありましたが、こんなにも無事に幕が上がるのを切に祈ることになるなんて思ってもみませんでした。

今は少し違う仕事をしていますが、私は文化芸術に関わる仕事をしていました。研修を受けに行くことももちろんあったのですが、その研修で聞いた中で、今でも忘れられない話がひとつあります。それは「文化芸術は生きていく上で必ずしも必要ではない。だから有事の際には真っ先に切られることが多い。でも、最低限の衣食住を確保していればいいのか。確かに生きていけるだろうが、果たしてそれは『人間らしい』と言えるのか」という話です。私は、この文化芸術にはポップカルチャーやエンターテインメントなど、幅広いものが含まれると解しています。

提供する側としても享受する側としても、「有事の際に真っ先に切られる」というのを、こんな形で痛感することになるとは思いませんでした。今は享受するのみの立場になりましたが、「文化がなくても生きられるけど生きられない」というのを、2月末からの数か月で痛いほど感じました。

「こんな時にコンサート/演劇/ミュージカルなんて…」という意見を持つ人は少なからずいるのだろうと思います。それはそれで間違っていないと思うので、否定はしません。でも、立場や従事した期間は違えど、文化芸術/エンターテインメントが持つ力を愚直に信じて提供していた身として、今このタイミングでこのミュージカルを完走する意味というのはものすごく大きいと思っています。

私は10月3日の大阪公演を観劇しました。7月くらいから映画館や劇団四季のミュージカルにはちょこちょこ行っていたので、最近は「1席おきに座る」という感覚が染みついていました。でもこの日は、隣に人がいました。当たり前だったはずなのに、当たり前じゃなくなっていたことに気づかされたと同時に、まだ決して油断なんてしてはいけないし、個人個人が万全の対策を続けていかないといけないことは大前提にあるけれど、それでも人が埋まった劇場の景色を見て、少しずつ前に進んでいる感じがして、胸がじんとなりました。きっと東京の景色を見ていた演者の方は、舞台の上からこの客席を見て、私たち以上に思うことがあったんだろうなと思います。

3 増田さんとエンターテインメント

ハウ・トゥー・サクシード』自体は、今までに日本国内でも何度か上演されています。ただ、私は過去の作品をなにひとつ見られていないので、今回の作品しか知らないNEWSのオタクとしての話をします。

とってもキュートでチャーミングでした

この作品が持つコミカルな雰囲気と、「まっすー」の持つ柔らかくてキュートな印象が混ざると、あんなに可愛らしいフィンチになるんだろうなぁと思いました。増田さんらしいフィンチで、すごく愛らしかった。…かと思いきや、歌は上手いし踊りもめちゃくちゃ踊れるし、なんなん?ズルやん。(?)

…っていうオタク全開な感想もしっかり抱きつつ。笑

私は今まであまり増田さんについて話すことが多くなかったと思うのですが、増田さんのコンサートを始めとしたエンターテインメントにかける想いと熱量がすごく好きです。そういったことを全て言葉にして表現しないのを、エンターテインメントを提供する側としての美徳だと考えているようなところも含めて。

増田さんは舞台上の表現で想いや熱量を伝えてくれる人だと思っています。増田さんにとって今回のミュージカルにかける想いが並々ならぬものだったことは、ただのファンのひとりでしかないけれど、少なからず受け取っているつもりです。

月並みな表現しかできない自分に辟易してしまいますが、このような中で絶対に完走するという増田さんの熱量は、エンターテインメントに携わる人間の姿勢として本当にかっこいいと思いました。本当にかっこよかったなぁ。(2回言う)

あと、ダンスのシーンを観ていて感じたのが、王道のブロードウェイミュージカルらしい演出だったということです。今回の作品で振付・演出を担っていたのが、ダニエル・ラドクリフ版の同作にも携わっていた振付、演出家のクリス・ベイリーさんなので、当たり前といえば当たり前なのかもしれませんが、観ていて心が高ぶるものがありました。というのも、私は物心つく前からディズニーにズブズブで育てられてきて、今ではショーやパレードが大好きなオタクだからです。ビッグバンドビートやハロー・ニューヨーク辺りが好きなディズニーファンの人は、きっとアメリカの王道ミュージカルも好きだと勝手に思ってるんですよね…。

増田さんが2020年8月21日に放送された「アナザースカイ」で「もう一度行きたい場所」として挙げたのがラスベガスでした。母、姉、姉の友人が勝手に履歴書を送り、「どうせサッカーの試合にも出れないんだからオーディションに行け」と言われてしぶしぶ行ったのが増田さんのジャニーズ人生の始まりでしたが、その後初めて見た東京ドームのコンサートの景色に感動したという話を何度もしています。また、この時のアナザースカイでは、ジャニーさんに連れて行ってもらったラスベガスのショーに魅せられたという話をしていました。

あのアナザースカイを見た時、私はウォルト・ディズニージャニー喜多川さんのことをふと思い出しました。幼少期のウォルト・ディズニーは、サーカスやチャップリンに魅せられてエンターテインメントに興味を持つようになりました。また、ジャニー喜多川さんも1931年にカリフォルニア州ロサンゼルスで生まれ、一時は日本に帰国していたものの、高校・大学時代はロスで過ごし、現地のミュージカルやショーに触れていたと言います。そしてブロードウェイに負けない、世界に認められる日本のショービジネスを作ろうと、ジャニーズ事務所を設立し、多くの作品をプロデュースしてきました。

私が好きなアイドル、エンターテイナー、プロデューサー。三者に共通していたのが「若い頃にアメリカのエンターテインメントに魅せられ、自らもそれを提供する立場になったこと」。この共通項は偶然なのかもしれませんが、自らがエンターテインメントに魅せられた経験があるからこそ、自分自身が作るものにも徹底的にこだわり続けることが出来るのだろうし、享受する私達も感動することが出来るのかもしれないと思いました。

そんな増田さんがアメリカのブロードウェイ・ミュージカルである『ハウ・トゥー・サクシード』という作品に出演したというのも、なんだか不思議な巡り合わせだなと感じます。とっても素敵な作品でした。

おわりに

何よりもまず、無事に終えることができてよかったです。お疲れさまでした!

色んなものが無くなってしまった今、このミュージカルに行けるというのが結構心の支えになっていた部分がありました。

作品自体も明るくて、観終わった時に多幸感に溢れた気持ちになれて、まさにこの時代に必要なものだったなと思います。終わってからもず~~~~~~~っと拍手し続けていたいくらいでした。

ミュージカル『ハウ・トゥー・サクシード』、全公演完走おめでとうございました!!!

 

 

<参考>

古矢旬編(2006)『史料で読む アメリカ文化史5 アメリカ的価値観の変容 1960年代ー20世紀末』東京大学出版会

ニール・ゲイブラー(2007)『創造の狂気 ウォルト・ディズニー』(中谷和男訳)ダイヤモンド社

笹田直人・野田研一・山里勝己編(2013)『世界文化シリーズ③ アメリカ文化 55のキーワード』ミネルヴァ書房

*1:ちなみにこのスキャンダルを基に、1994年に『クイズ・ショウ』という映画が製作・公開されています。